2012年1月イッテQ登山部、5番目の山は南米最高峰【アコンカグア】 [ドキュメンタリー]
第4の挑戦ビエント・ブラント吹き荒れる南米最高峰【アコンカグア】
◆アコンカグアとは?
アルゼンチンとチリの国境にあるアンデス山脈にあり
アルゼンチン側にある、南米最高峰の山で標高6,960m
岩の衛兵と呼ばれ登山者を拒んでいる。
◆今回のメンバーは?
登山部平部員「イモト」、登山部主任「石崎」、チームリーダー「角谷」さん
国際登山ガイド「貫田」さん、日本山岳会のホープ「中島」さん、
カメラマン「石井」さん、「佐々木」さん、「門谷」さん
ディレクター「小野寺」さん、AD「かっしー」
〇≪プロローグ≫
日本人初登頂は、1953年「早稲田大学遠征隊」で
あの「植村直己」も登頂し下山時に登頂した隣の山が
初登頂だったので、「明治峰」と命名された。
この山はアンデス地方特有の悪天候が多く
特に【ビエント・ブランコ(白い嵐)】と呼ばれる吹雪で
しばしば行動困難に陥る事も多い為、入山者の
登頂成功率は30%ほどなのです。
工程は50kmを5カ所のキャンプ地経由で登ります。
♪1nd:ドキュメント≪12/28アコンカグア国立公園≫
初日は、オルコネス谷が本流と下部オルコネス谷に別れる
コンフルエンシア(3368m)までの、ところどころに橋が架かり
泥水のような濁流となった川を渡る距離約10km、4~5時間で
到着です。道路はしっかりしているので、順調に進みます。
コンフルエンシアキャンプでは身体を順応させるために
2泊する決まりがある。
♪2nd:ドキュメント≪12/29高度順応日≫
南北7,500kmに渡り連なるアンデス山脈
身体を馴らすために、キャンプから4時間歩いて進み
4時間歩いてキャンプに戻る。
そのことを物語るように高山病の発生は多い。
♪3nd:ドキュメント≪アコンカグア南壁の裏側コース≫
12/30ベースキャンプのプラサ・デ・ムーラスまでの
15km9時間の道のりを進みます。
コンフルエンシアからは広くなったオルコネス谷の
本流を進み、緑は無くなり、赤茶けた風景が延々と続き
吹き降ろす風はすでに冷たく感じこの先の不安を煽ります。
水量は少ないが、所々で膝下までの水嵩があったりするため
氷河から溶け出した水が身を切るように冷たく、アンデス山脈の
偉大さを感じつつ進みます。
BCプラサ・デ・ムーラスでは健康診断も行われます。
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♪4nd:ドキュメント≪謹賀新年≫
順応と最終アタック日の天候を予測し工程を考える
アンデス地方特有の悪天候は避けなければ夢の頂には
届かないのだ!
イモトは日本から持参の着物で新年を迎えた、御来光が
チームの無事を支えてくれるように暖かく日差しを届けてくれた。
♪5nd:ドキュメント≪ぺ二テンテ氷塔≫
1/3天候快晴、C! キャンプカナダ5050mを目指す!
めずらしいペニテンテ氷塔を抜ける4,900m
白い氷の花と呼ばれ、針のように尖った氷が
花のように当たり一面に広がり、太陽に照らされて
輝く氷は、まるで宝石です。
「ペニテンテ」は太陽によって溶け出した
氷や雪が、再び冷気を帯びた風にあおられることで
先端の尖った帽子のような形状となります。
気温が常に氷点下で太陽の光りが良く当たる場所
このような条件が揃って白い氷の花は出来上がるようです。
♪6nd:ドキュメント≪天候の悪化≫
1人倒れれば登頂は断念するしかありません、C1キャンプ
1/4C2のニド・デ・コンドレスを目指す!水分も資材も
自分たちで運ぶ。C2の標高はついに5500mになる
9日目が大雪、10日目が強風だった
そして最終キャンプ地点のキャンプ・コレラを目指す
標高6,000mキャンプコレラでアタック日を決める。
大雪が降ったため、コース変更を余儀なくされる。
♪7nd:ドキュメント≪体感温度マイナス30℃≫
先日降った大雪で、先導ではラッセルが必要となった
ラッセルとは、 登山で、深雪の中を雪を掻き分けて
道を作りながら進むことを言いい、ものすごい体力の
消耗と技術力が要求されます。
今後の工程は、朝4:00に出発し大トラバス地帯を抜け
40度の斜面グランカナレーターを進み頂を目指す。
しかし、イモト達に最大の試練が待ち受けていた。
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♪8nd:ドキュメント≪高山病の症状との戦い≫
日が登る前の時間帯は気温マイナス23℃、風が出てくれば
体感温度はマイナス30℃を超える、先導ではラッセルが
続き交代で進み道を作るが体力も限界に近い、吹雪で
立ち往生し、大トラバース地帯で風が吹けば体感温度は
マイナス40℃を超える!
強風はさらに強まり、試練は続く傾斜度40度の
グランカナレータが自由を奪い、体力を奪う!
イモトに高山病の症状が出始める、標高は6,700m
まで到達していた。
♪9nd:ドキュメント≪ビエントブランコ≫
遥かなる頂まであと400mほどの地点だ
しかし、ついに恐れていた言葉が「ビエントプランコが来る」
いつの日も自分との闘いなのだ、雪にならなければ
コース変更がなければ、すでに終わってしまったこと!
あと、わずか350m!最後はとどかなかった!
だが、角谷さんは言う「頂に連れて行ってあげたい、あと少し
だから・・・しかし判断では情に流されると死を招くのだ」と
とどかなかったアンデスの頂、6890m断念!
〇 ≪エピローグ≫
イモトは帰国後こうつぶやいている
途中、胃が痛くて何もしゃべらない私の代わりに
声を出し励まし続けてくれたかどやさん。
かどやさんの「絶対登るって言ったじゃないですか」
という言葉で奮い立たされました。
いつも的確な判断で引っ張ってくださる還暦ぬきたさん。
テントでいつもお湯を作ってくれたリアル三歩のなかじまさん。
深い雪のラッセルを自らかってでてくれた現地のナタとホアン。
歩くだけでも辛いのに、そこをカメラをまわしてくれた
カメラマンさんたち。
三ヶ月前から足に重りをつけ訓練して挑んだ小野寺さん。
いつもメイク道具を持ってくれたり身の回りの世話をしてくれた
同い年かっしー。
今回は何だかんだ仲間の素晴らしさを感じました。
本当にこのチームで挑めたことが一番の思い出になりました。と
決断を経験できたのは今後の挑戦にプラスと
なるでしょう。
これからも頑張れイモト!
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◆アコンカグアとは?
アルゼンチンとチリの国境にあるアンデス山脈にあり
アルゼンチン側にある、南米最高峰の山で標高6,960m
岩の衛兵と呼ばれ登山者を拒んでいる。
◆今回のメンバーは?
登山部平部員「イモト」、登山部主任「石崎」、チームリーダー「角谷」さん
国際登山ガイド「貫田」さん、日本山岳会のホープ「中島」さん、
カメラマン「石井」さん、「佐々木」さん、「門谷」さん
ディレクター「小野寺」さん、AD「かっしー」
〇≪プロローグ≫
日本人初登頂は、1953年「早稲田大学遠征隊」で
あの「植村直己」も登頂し下山時に登頂した隣の山が
初登頂だったので、「明治峰」と命名された。
この山はアンデス地方特有の悪天候が多く
特に【ビエント・ブランコ(白い嵐)】と呼ばれる吹雪で
しばしば行動困難に陥る事も多い為、入山者の
登頂成功率は30%ほどなのです。
工程は50kmを5カ所のキャンプ地経由で登ります。
♪1nd:ドキュメント≪12/28アコンカグア国立公園≫
初日は、オルコネス谷が本流と下部オルコネス谷に別れる
コンフルエンシア(3368m)までの、ところどころに橋が架かり
泥水のような濁流となった川を渡る距離約10km、4~5時間で
到着です。道路はしっかりしているので、順調に進みます。
コンフルエンシアキャンプでは身体を順応させるために
2泊する決まりがある。
♪2nd:ドキュメント≪12/29高度順応日≫
南北7,500kmに渡り連なるアンデス山脈
身体を馴らすために、キャンプから4時間歩いて進み
4時間歩いてキャンプに戻る。
そのことを物語るように高山病の発生は多い。
♪3nd:ドキュメント≪アコンカグア南壁の裏側コース≫
12/30ベースキャンプのプラサ・デ・ムーラスまでの
15km9時間の道のりを進みます。
コンフルエンシアからは広くなったオルコネス谷の
本流を進み、緑は無くなり、赤茶けた風景が延々と続き
吹き降ろす風はすでに冷たく感じこの先の不安を煽ります。
水量は少ないが、所々で膝下までの水嵩があったりするため
氷河から溶け出した水が身を切るように冷たく、アンデス山脈の
偉大さを感じつつ進みます。
BCプラサ・デ・ムーラスでは健康診断も行われます。
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♪4nd:ドキュメント≪謹賀新年≫
順応と最終アタック日の天候を予測し工程を考える
アンデス地方特有の悪天候は避けなければ夢の頂には
届かないのだ!
イモトは日本から持参の着物で新年を迎えた、御来光が
チームの無事を支えてくれるように暖かく日差しを届けてくれた。
♪5nd:ドキュメント≪ぺ二テンテ氷塔≫
1/3天候快晴、C! キャンプカナダ5050mを目指す!
めずらしいペニテンテ氷塔を抜ける4,900m
白い氷の花と呼ばれ、針のように尖った氷が
花のように当たり一面に広がり、太陽に照らされて
輝く氷は、まるで宝石です。
「ペニテンテ」は太陽によって溶け出した
氷や雪が、再び冷気を帯びた風にあおられることで
先端の尖った帽子のような形状となります。
気温が常に氷点下で太陽の光りが良く当たる場所
このような条件が揃って白い氷の花は出来上がるようです。
♪6nd:ドキュメント≪天候の悪化≫
1人倒れれば登頂は断念するしかありません、C1キャンプ
1/4C2のニド・デ・コンドレスを目指す!水分も資材も
自分たちで運ぶ。C2の標高はついに5500mになる
9日目が大雪、10日目が強風だった
そして最終キャンプ地点のキャンプ・コレラを目指す
標高6,000mキャンプコレラでアタック日を決める。
大雪が降ったため、コース変更を余儀なくされる。
♪7nd:ドキュメント≪体感温度マイナス30℃≫
先日降った大雪で、先導ではラッセルが必要となった
ラッセルとは、 登山で、深雪の中を雪を掻き分けて
道を作りながら進むことを言いい、ものすごい体力の
消耗と技術力が要求されます。
今後の工程は、朝4:00に出発し大トラバス地帯を抜け
40度の斜面グランカナレーターを進み頂を目指す。
しかし、イモト達に最大の試練が待ち受けていた。
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♪8nd:ドキュメント≪高山病の症状との戦い≫
日が登る前の時間帯は気温マイナス23℃、風が出てくれば
体感温度はマイナス30℃を超える、先導ではラッセルが
続き交代で進み道を作るが体力も限界に近い、吹雪で
立ち往生し、大トラバース地帯で風が吹けば体感温度は
マイナス40℃を超える!
強風はさらに強まり、試練は続く傾斜度40度の
グランカナレータが自由を奪い、体力を奪う!
イモトに高山病の症状が出始める、標高は6,700m
まで到達していた。
♪9nd:ドキュメント≪ビエントブランコ≫
遥かなる頂まであと400mほどの地点だ
しかし、ついに恐れていた言葉が「ビエントプランコが来る」
いつの日も自分との闘いなのだ、雪にならなければ
コース変更がなければ、すでに終わってしまったこと!
あと、わずか350m!最後はとどかなかった!
だが、角谷さんは言う「頂に連れて行ってあげたい、あと少し
だから・・・しかし判断では情に流されると死を招くのだ」と
とどかなかったアンデスの頂、6890m断念!
〇 ≪エピローグ≫
イモトは帰国後こうつぶやいている
途中、胃が痛くて何もしゃべらない私の代わりに
声を出し励まし続けてくれたかどやさん。
かどやさんの「絶対登るって言ったじゃないですか」
という言葉で奮い立たされました。
いつも的確な判断で引っ張ってくださる還暦ぬきたさん。
テントでいつもお湯を作ってくれたリアル三歩のなかじまさん。
深い雪のラッセルを自らかってでてくれた現地のナタとホアン。
歩くだけでも辛いのに、そこをカメラをまわしてくれた
カメラマンさんたち。
三ヶ月前から足に重りをつけ訓練して挑んだ小野寺さん。
いつもメイク道具を持ってくれたり身の回りの世話をしてくれた
同い年かっしー。
今回は何だかんだ仲間の素晴らしさを感じました。
本当にこのチームで挑めたことが一番の思い出になりました。と
決断を経験できたのは今後の挑戦にプラスと
なるでしょう。
これからも頑張れイモト!
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2012-01-29 19:56
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