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2012年1月イッテQ登山部、5番目の山は南米最高峰【アコンカグア】 [ドキュメンタリー]

第4の挑戦ビエント・ブラント吹き荒れる南米最高峰【アコンカグア】

アコンカグアとは?

アルゼンチンとチリの国境にあるアンデス山脈にあり

アルゼンチン側にある、南米最高峰の山で標高6,960m

岩の衛兵と呼ばれ登山者を拒んでいる。


今回のメンバーは?

登山部平部員「イモト」、登山部主任「石崎」、チームリーダー「角谷」さん

国際登山ガイド「貫田」さん、日本山岳会のホープ「中島」さん、

カメラマン「石井」さん、「佐々木」さん、「門谷」さん

ディレクター「小野寺」さん、AD「かっしー」


≪プロローグ≫

日本人初登頂は、1953年「早稲田大学遠征隊」で

あの「植村直己」も登頂し下山時に登頂した隣の山が

初登頂だったので、「明治峰」と命名された。

この山はアンデス地方特有の悪天候が多く

特に【ビエント・ブランコ(白い嵐)】と呼ばれる吹雪で

しばしば行動困難に陥る事も多い為、入山者の

登頂成功率は30%ほどなのです。

工程は50kmを5カ所のキャンプ地経由で登ります。


図21.jpg


1nd:ドキュメント≪12/28アコンカグア国立公園≫

初日は、オルコネス谷が本流と下部オルコネス谷に別れる

コンフルエンシア(3368m)までの、ところどころに橋が架かり

泥水のような濁流となった川を渡る距離約10km、4~5時間で

到着です。道路はしっかりしているので、順調に進みます。

コンフルエンシアキャンプでは身体を順応させるために

2泊する決まりがある。


2nd:ドキュメント≪12/29高度順応日≫

南北7,500kmに渡り連なるアンデス山脈

身体を馴らすために、キャンプから4時間歩いて進み

4時間歩いてキャンプに戻る。

そのことを物語るように高山病の発生は多い。


3nd:ドキュメント≪アコンカグア南壁の裏側コース≫

12/30ベースキャンプのプラサ・デ・ムーラスまでの

15km9時間の道のりを進みます。

コンフルエンシアからは広くなったオルコネス谷の

本流を進み、緑は無くなり、赤茶けた風景が延々と続き

吹き降ろす風はすでに冷たく感じこの先の不安を煽ります。

水量は少ないが、所々で膝下までの水嵩があったりするため

氷河から溶け出した水が身を切るように冷たく、アンデス山脈の

偉大さを感じつつ進みます。

BCプラサ・デ・ムーラスでは健康診断も行われます。


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4nd:ドキュメント≪謹賀新年≫

順応と最終アタック日の天候を予測し工程を考える

アンデス地方特有の悪天候は避けなければ夢の頂には

届かないのだ!

イモトは日本から持参の着物で新年を迎えた、御来光が

チームの無事を支えてくれるように暖かく日差しを届けてくれた。


5nd:ドキュメント≪ぺ二テンテ氷塔≫

1/3天候快晴、C! キャンプカナダ5050mを目指す!

めずらしいペニテンテ氷塔を抜ける4,900m

白い氷の花と呼ばれ、針のように尖った氷が

花のように当たり一面に広がり、太陽に照らされて

輝く氷は、まるで宝石です。

「ペニテンテ」は太陽によって溶け出した

氷や雪が、再び冷気を帯びた風にあおられることで

先端の尖った帽子のような形状となります。

気温が常に氷点下で太陽の光りが良く当たる場所

このような条件が揃って白い氷の花は出来上がるようです。


6nd:ドキュメント≪天候の悪化≫

1人倒れれば登頂は断念するしかありません、C1キャンプ

1/4C2のニド・デ・コンドレスを目指す!水分も資材も

自分たちで運ぶ。C2の標高はついに5500mになる

9日目が大雪、10日目が強風だった

そして最終キャンプ地点のキャンプ・コレラを目指す

標高6,000mキャンプコレラでアタック日を決める。

大雪が降ったため、コース変更を余儀なくされる。


7nd:ドキュメント≪体感温度マイナス30℃≫

先日降った大雪で、先導ではラッセルが必要となった

ラッセルとは、 登山で、深雪の中を雪を掻き分けて

道を作りながら進むことを言いい、ものすごい体力の

消耗と技術力が要求されます。

今後の工程は、朝4:00に出発し大トラバス地帯を抜け

40度の斜面グランカナレーターを進み頂を目指す。

しかし、イモト達に最大の試練が待ち受けていた。


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8nd:ドキュメント≪高山病の症状との戦い≫

日が登る前の時間帯は気温マイナス23℃、風が出てくれば

体感温度はマイナス30℃を超える、先導ではラッセルが

続き交代で進み道を作るが体力も限界に近い、吹雪で

立ち往生し、大トラバース地帯で風が吹けば体感温度は

マイナス40℃を超える!

強風はさらに強まり、試練は続く傾斜度40度の

グランカナレータが自由を奪い、体力を奪う!

イモトに高山病の症状が出始める、標高は6,700m

まで到達していた。


9nd:ドキュメント≪ビエントブランコ≫

遥かなる頂まであと400mほどの地点だ

しかし、ついに恐れていた言葉が「ビエントプランコが来る」

いつの日も自分との闘いなのだ、雪にならなければ

コース変更がなければ、すでに終わってしまったこと!

あと、わずか350m!最後はとどかなかった!

だが、角谷さんは言う「頂に連れて行ってあげたい、あと少し

だから・・・しかし判断では情に流されると死を招くのだ」と

とどかなかったアンデスの頂、6890m断念!


 ≪エピローグ≫

イモトは帰国後こうつぶやいている

途中、胃が痛くて何もしゃべらない私の代わりに

声を出し励まし続けてくれたかどやさん。

かどやさんの「絶対登るって言ったじゃないですか」

という言葉で奮い立たされました。


いつも的確な判断で引っ張ってくださる還暦ぬきたさん。

テントでいつもお湯を作ってくれたリアル三歩のなかじまさん。

深い雪のラッセルを自らかってでてくれた現地のナタとホアン。

歩くだけでも辛いのに、そこをカメラをまわしてくれた

カメラマンさんたち。

三ヶ月前から足に重りをつけ訓練して挑んだ小野寺さん。

いつもメイク道具を持ってくれたり身の回りの世話をしてくれた

同い年かっしー。

今回は何だかんだ仲間の素晴らしさを感じました。

本当にこのチームで挑めたことが一番の思い出になりました。と



決断を経験できたのは今後の挑戦にプラスと

なるでしょう。

これからも頑張れイモト!



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