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イッテQ登山部イモト〝第7の山アイガー〟登頂の記録とメンバー [ドキュメンタリー]

第7の山へ挑戦、アルプスの死の崖【アイガー(EIGER)】

イッテQ登山部が挑む、第7番目挑戦はクライミング

その山の名は【アイガー(EIGER)】3,970m

アイガー、メンフィ.jpg

アイガー登頂には「死の崖」と呼ばれ最も危険で困難な

山と呼ばれており、中でも北壁はあのエベレストよりも

難しいと言われている。

今回イッテQ登山チームが挑むのは、北東山稜ルートで

95年前日本の〝槇有恒〟(まきゆうこう)をリーダー

としたチームが初登攀し【世界のマキ】と呼ばれるよう

になったルート〝ミッテルレギコース〟だ!

アイガー最終アタック.png

このコースもナイフリッジと呼ばれ、刃(やいば)の

上を歩く場所が頂上付近にはあり、見下ろす道は北側が

1,800mの絶壁、南側は600mの絶壁で、足場も

わずかというナイフリッジの恐怖が行く手を阻む。



◆今回の説明

 ♪ 国内練習合宿

 ♪ アイガーとは

 ♪ アイガー挑戦メンバー

 ♪ 登山試験(テスト)

 ♪ アイガー登頂のルート

 ♪ そしてドキュメント

 ♪ アイガー登頂成功メンバー


◆国内合宿

 今回も国内で感覚を戻す合宿を行ったのです

 場所は、剣岳長次郎雪渓コース

 隊 長:山本一夫

 副隊長:山本 篤

 隊 員:奥田仁一

  〃 :中村俊啓

 イッテQ登山部

 製作、技術メンバー


合宿日は8月11日で山の日と重なり大渋滞のスタート

となった。

今回の合宿コースは、剣岳であえて難易度の高いクライ

ミング練習に適した〝長次郎雪渓ルート〟を選択した。

2,750mにある剣御前小屋で宿泊、翌日アタックを

行った。早朝4:00出発し岩場を進む、感覚を確かめ

ながら登頂、剣岳を踏破する。身体を山モードに戻して

スイスには3日後に出発となった。


◆アイガーとは

 スイスベルン州のベルナー・オーバーラント地方にある

 アルプス山脈の1峰で、スイスを代表する名峰でメンヒ、

 ユングフラウが連なる。

 特に北壁が有名な難関でアルプス三大北壁のひとつです

 【スイスアルプス三大北壁】

  ♪ アイガー北壁

  ♪ グランドジョラス北壁

  ♪ マッターホルン北壁

 

◆アイガー挑戦メンバー

 ♪ プロジェクト統括〝天国じじい〟こと【貫田宗男】

 ♪ 日本山岳会のホープ【中島健郎】

 ♪ スイス在住登山ガイド【田村真司】

 ♪ 山岳ドクター【武藤文隆】


 [ムード] 山も登れる女優芸人【イモトアヤコ】


 ? 技術チーム カメラマン【石井邦彦】

 ? 技術チーム カメラマン【門谷 優】

 ? 技術チーム カメラマン【湯本将司】

 ? 技術チーム 音声【廣瀬あかり】


 ? 製作チーム ディレクター【石崎史郎】

 ? 製作チーム AD【藤野研介】

 ? 製作チーム AD【木村奨太】


◆登山試験(テスト)

 8月16日スイス入り

 やはりアイガーも世界の上級アルピニストが集う山で

 グリンデンワルト山岳ガイド協会が審査するテストに

 合格しなければ、アイガー挑戦は出来ない。


 そして、テストが行われるコースは・・・なんと

 アイガーより標高は高い〝メンヒ〟だ!

 もちろんテストを受けるのは、イモトを始めクルー

 全員がテストを受ける。

 もちろん体重100kg超えの石崎Dもだ!


テスト項目

 身体能力、クライミング技術、精神力が問われる

 8月17日テスト日

 ユングフラウ鉄道で試練の山へ

 ユングフラウヨッホ駅(3,454m)を降りてスフィンクス

 展望台下のトンネルを抜け山小屋を目指して1時間歩く。

 メンフィスヨッホヒュッテで1泊し、翌日試験アタックを行う

 アタックコースは、3,670mからスタートし4,107m

 の頂上まで一気に440mを3時間で登るというもの。


8月18日テスト本番日真っ白に雪が積もっていた。

ガイドよりメンヒは雪があっても問題ないとの話で、アイガー

に比べればハイキングらしい。

イモトの心境は、まったく高さも怖さも感じない!と自信を

見せる。

すると石崎Dも「イモト!俺も同意見だ全く高く感じない」と

イモトは鼻で笑いながら「あんたは・・まったく!」

気持ちも和んで、いよいよテスト本番に向かうメンヒへ挑戦


そしてスタートする、いきなり200mの岩登りから始まり

どんどんピッチは上がる、標高3,850mに到達!

ほぼ1時間で登った、ガイドからもスピード技術も問題はない

との事だ、そして出発から2時間メンヒのナイフリッジへ・・

さすがにイモトも心が不安になる、生と死の境界線を歩く滑落

の不安と戦う!ゆっくり歩きながら手をついたりしたが、気を

付けてやっと踏破する、時間はなんとか3時間だった。


イモトもナイフリッジの怖さで山の雰囲気にのまれていた!

気分を変えたい、緑を見たい、花が見たい・・・


しかし天が味方した、天候が不安定で待機!休息日を設ける事

になった。

アイガーは少しでも雪が積もると閉山になる、それほど危険な

山なのです。


そして、テストの結果が伝えられる

イモト合格!

他のメンバーも大丈夫だと・・・

だが、ガイドは「お前は連れていけない!」と石崎に通告する

なんと石崎だけ不合格となった!

当然だろう登り始めて4分で「HELP~」となったからだ!


◆アイガー登頂のルート

 アイガーミッテルレギ稜(アイガー北東山稜)

 大正10年(1921)に日本の槇有恒が初登攀に成功した

 当時、彼は27歳

 アイガー挑戦の為にグリンデルワルトにじっくり滞在、地元

 の方々と深く交流し、山の情報を多く集め初登攀を成し遂げた。


◆ドキュメント

ユングフラウ鉄道.png

≪ミッテルレギ北東稜へ≫

 チャレンジは8/24・25でアタック!1泊2日での挑戦だ

 グリンデルワルトからヴァンゲルンアルプ鉄道でクライネ・シャ

 イディック駅に向かい、そこからユングフラウ鉄道に乗り換えて

 さらに山岳地帯をどんどん登って行くとユングフラウヨッホ駅へ

 向かうトンネル内部に2つの途中駅があり、1つ目はアイガーバ

 ント駅、2つ目はアイスメーア駅。


 アイガーヴァント駅(2,865m)駅名は〝アイガーの壁〟を

 意味する。トンネルの掘削で出た岩屑を捨てるために空けられた

 「穴」でなんと、アイガー北壁のど真ん中にぽっかり口を開けて

 いて、ガラス貼りの展望デッキからは岩と雪が織り交じった垂直

 の北壁が眼下に広がる。

 魔の壁アイガー北壁で、クライマーが滑落や遭難した際には外か

 ら中に入れるという構造の様です。


 アイスメーア駅(3,160m)駅名は〝氷の海〟を意味する。

 やはりこの駅もガラス貼りの展望デッキからは、氷河の海が圧巻。

 なお展望デッキは2つあって、片方には鉄格子で守られたドアが
 
 あり、アイガーに挑戦する人はドアを開けて氷河へ下り、ミッテ

 ルレギ小屋へ向かう駅です。


≪ミッテルレギ小屋≫

 AM7:00出発、アイスメーア駅で下車しミッテルレギ小屋を

 目指す!

 アイスメーア駅で準備を始める、するとガイドのヨハンが「ダメ

 だあいつを連れていくことは出来ない!」・・・は!?「小屋まで

 も行けないの?」イモトもびっくりする、石崎も「ちょっと想定

 外かも?」「俺は小屋までは行けると思っていたから」イモトは

 「小屋までも行けないとは情けないよ!」アタックではなく小屋

 までもとは・・・ヨハン「難所が何カ所もあるため、あいつには

 無理だ」、イモトは石崎に「あんた悔しくないのか?小屋までも

 行けないなんて!」すると石崎は「別に」・・・イモト「急な沢尻

 を出すんじゃないよ」と。


 ドアを出てすぐ、いきなりのガレ場でアイガーで最も落石・落氷

 が多い場所、ヨハンも「最初の30分は出来る限り早く進む」と

 危険地帯を回避するには、ノンストップでその場所を抜ける事だ!

 温かい気候で表面の氷が融けて崩落が多い、そうなのですここは

 〝アイガー〟上級クライマーのみが立ち入れる特別な山。

 イモトは危険地帯を最速で抜ける、イモトは感想として「う~ん

 これは確かに石崎さんは行けねーな」

 AM10:30ミッテルレギ小屋が見えてきた、もう少しで小屋

 と見上げた時、イモトは衝撃を受けた!!

 あいつがいる!「ちょっと待って!」「おい!」「なんでいるの?」

 石崎はお茶目に「来ちゃった[黒ハート]」・・・イモトは「何で?何でいる

 の?来ちゃダメだって言ってたでしょ!何で来たの?」

 石崎は「ヘリで来ちゃった!」イモト愕然「マジで!!」すると

 石崎はイモトに「本物のザッキ―だよ[黒ハート]」イモトは「本物のザッ

 キ―じゃねーよ!来ちゃったじゃねーよ、まったく」

 石崎も合流し、ミッテルレギ小屋で一泊し早朝アタックをする。

 イモトは不安を石崎に話してみるが、当然石崎は眼中にないため

 心配と不安の中眠りにつく


≪まさかの体調不良≫


 AM6:00スタート

 615m・2kmを登る2時間のクライミングだ!そして最難関

 200mの衛兵【ジャンダルム】も最後に控えている。

 出発して15分、目の前の岩に集中して登って行く。ヘリからの

 空撮で凄さがわかるが〝ゴジラ〟の背中のような上り下りが続く

 反りあがる岩壁に苦労する、フィックスロープが張ってあり足を

 使えないため腕の力で登らなくてはならない。

 イモトもこの練習をしておけばよかったと嘆くほどだ!

 AM6:40 御来光で真っ赤に染まる。しばし景色に見とれる

 難関ジャンダルムまでに、フィックスロープを使うヶ所が何カ所

 もある、ジャンダルムまでに体力が持つかどうか不安でいっぱい

 のイモトに異変が・・・


 「うんこが出たい」

 ガイドのイワンが言う「こんなところで〝うんこ〟をした奴は

 アイガー北壁を踏破した数より少ない!」なんなんだ?と

アイガーイモト3.png

 イモトも出すものを出してスッキリしたのか?調子は上向きだ

 岩のポイントを的確に捉え反りたつ壁を登る。

 アタックから2時間、やっと休憩

アイガーイモト2.png

≪登頂断念か?≫

 フィックスロープを使っての登りで、腕の力と体力がどんどん

 そがれて行く。3,500mを過ぎたあたりから雪が増えてきた

 岩と氷で滑りやすいがアイゼンは履かない。イモトも真剣でリア

 クションもない。

 そして1人々フィックスロープを登るのだが、イモトが必至で

 登っている時。関係ない場所で事件は起きた!

 天国じじいがガイドに驚かれている、「何だ、こんなやつ初めて

 見たよ!」と・・・〝歯磨きじじい〟なぜ今、なぜここで?

 最近葉が悪くなって来たらしいのだが・・・今!?

 命がけで登る者の下で、今は虫歯が心配な者がいるという事件!

 アタックから2時間半かなり疲れも出てきた、目の前には30m

 の岩壁、イモトはグイグイ登って4分でクリアする。

 そして目の前には最大の難所〝ジャンダルム〟が迫り、姿を現す

 見上げればアイガーの最強の番人がクライマーを見下ろしてくる

 まず25m懸垂下降してジャンダルムに突入する。

 さあ、いよいよアイガー最強の番人〝ジャンダルム〟へ、高低差

 180mへ挑む!。

 イモトも足がすくみ、今回初めてスリップする。恐怖心を忘れよ

 うと、挑戦前に訪れた催眠術師から教わった恐怖を取り除く方法

 おでこを指でトントンたたくというもの、効かなくても縋りたい

 気持ちだった。しかし一旦訪れたそれはイモトを否応なしに心の

 奥底まで引きずり込む。生死の境に自分が置かれている恐怖が全

 身を覆い始める、リズムが乱れ、うまく足が運べずついに・・・

 〝HELP〟ガイドのヨハンも「落ち着け!目の前の岩と向き合

 え」と・・・でも自信を無くしリズムが崩れたイモトは「ノーア

 イキャント」(私には出来ない)と足が完全に止まる!

 「何でこんなとこ登んなきゃいけないの?」・・・さぁイモト気

 持ちを立て直せるか?

 ジャンダルムの中腹で完全に止まってしまい、登ることも降り

 る事も出来ない状態で固まってしまった。

アイガーイモト2.png

≪ジャンダルム制覇≫

 心が折れたイモトに、まさかの気持ちの変化が起こる!それは

 突然やってきた!「痛い、痛いよ~」イモトの頭上にあたる氷

 バラバラと落ちて来る氷、「おい、当たってるから氷」「落とす

 なっつてんだろ!!」身体を覆っていた恐怖は、ついに怒りが

 上回る事になる「また落としたアイツ!」そして「おい、ジャ

 ンボ(カメラマン)の相棒、落とすな!」怒りのイモトは、や

 るしかないと奮起する「ヘリコプターうっせーな!」「女優に

 戻りて―」中島さんが励ます「アイガー登れる女優さんなんか

 いないですよ」イモトも「ほんとそうだな、この枠は私が戴き

 ました」とそして最大の難所ジャンダルムを乗り越える。

 このタイミングで石崎から無線が入る、イモトは切れ気味に

 「え!」、石崎は「途中空撮に行ったときにずっとおでこトン

 トンしてたけど」イモトは「全然、大丈夫じゃなかったよ!」

 だが、石崎のノー天気な感じがイモトの緊張をほぐしリラック

 スが出来たのでしょう。

 アタックから4時間半、ついにアイガー北壁の上に到達する!

アイガーイモト1.png

≪アイガー≫

 いよいよアイゼンを装着する、そして雪のナイフリッジを進む

 平均台を渡っている気分だ、いや・・・それより何より怖い!

 それもそのはずだ、今イモトたちは北壁の真上にいて、北壁の

 高さは1,800mなのだから!また雪のある場所とない岩の

 場所が現れ、アイゼンを引っ掛けないように神経を集中させて

 進むがクルー全員疲労困憊でイモトの会話にもつきあってやれ

 ない!頑張ってとも声を掛けることさえ出来ないでいた。

 全力で挑戦する事5時間半、手足はパンパンで危険な場所でも

 ふらつく。最大の試練〝ジャンダルム〟は超えたはず・・・

 なのにまだ試練の登りが続く、ガイドの「あともうちょっと」

 に腹を立てるイモト!そしてついにイモトの肉眼はアイガーの

 頂上を捉える!しかしまだ遥か先だ、雪の頂上稜線を慎重に歩く

 そして、山頂が見えたので、天国じじい貫田さんと石崎が無線で

 連絡を取り合う。

 貫田「これから頂上稜線に入ります」

 石崎「了解です、あと10分位でしょうか?」

 貫田「あと15分」

 石崎「雪の状態はどうですか?」

 貫田「腐ってるね」

 石崎「了解です慎重にお願いします」

 という石崎は麓でビールを飲みながらいっぷく!くつろいでいた!

アイガー石崎.png

 イモトは両脇が切り立った最後のナイフリッジを慎重に進んだ!

 ナイフリッジの怖さは、引っ掛けて止める場所がないところなのだ

 滑り始めたら氷河まで落ちる。

 ガイドも声を掛け続ける「トレースからはみ出るな」そうなのだ

 足跡の外を踏めば雪が崩れ氷河に落ちる。恐怖と高度感と戦いな

 がらラストの稜線を踏みしめる。


 2016年夏、イモトが挑んだ第7の山は、襲い掛かる恐怖に心

 が折られた!しかし自分自身の心を克服し進んできた


 そして、ついに8月25日PM0:05分アイガー登頂成功!

アイガー踏破.png

 皆さん登頂、おめでとうございます!

アイガーイモト5公式ツイッターより.jpg

◆アイガー登頂成功メンバー

 貫 田 宗 男

 中 島 健 郎

 石 井 邦 彦

 門 谷   優

 イモト アヤコ

アイガー頂上.png

イモトアヤコマッキンリー結果!登頂成功の日程と全行程 [ドキュメンタリー]

イモトアヤコマッキンリー結果!登頂成功の日程と全行程

McKinley4.jpg

第6の山へ挑戦、北米最高峰【マッキンリー】

マッキンリーとは?

「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。

マッキンリーといえば、登山冒険家の植村直己さんが世界初の

厳冬期単独登頂に成功した山で、残念ながらその下山途中に消息が

途絶え、現在でも遺体は発見されていません

また、最近でも日本人登山チームが雪崩に巻き込まれ命を落としている。


こんな注意書きが出ている【デナリ国立公園及び保護知己における登山では

時速96kmの風と氷点下摂氏54℃の夜中にテントが飛べば死はすぐそこだ】


マッキンリーとは、アメリカのアラスカ州にあり北米大陸最高峰の

標高6,168メートルだ!



今回のメンバーは?

登山部「イモトアヤコ」、国際登山ガイド「貫田宗男」

国際登山ガイド「角谷道弘」、「奥田仁一j、「中島健郎」

「水戸呂拓也」、「中村俊啓」、「飯田祐一郎」

ドクター「榊原嘉彦」

技術チーム、カメラマン「石井邦彦」、「門谷優」、音声「廣瀬あかり」

制作チーム、D「石崎史郎」、D「小野寺健」、AD「藤野研介」

総勢15名での挑戦となります。


≪プロローグ≫

2014年4月26日、イモトはネパールの標高6,400地点

メラピーク峰よりエベレスト登頂に意欲を見せていた時のこと

エベレストで史上最悪の雪崩による死亡事故が発生!

この年のエベレスト挑戦は断念する事となった。

それから1年、今年3月イッテQ登山部のエベレストは中止との

結論に達した。

しかし、数多くの登山訓練を無駄にしない為、視聴者の声に

応える為に第6の山に挑戦する。

それは、北米大陸最高峰【マッキンリー】6,186の名峰だ!

7大陸最高峰の一角でその行程は、20間25km高低差4,000m

南極、北極、エベレストにつぐ極地なのです。

イッテQ登山部は、新たなる目標に向け動き出す!




1nd:ドキュメント≪ベースキャンプまで≫

1か月に及ぶ北米大陸最高峰への挑戦が始まる!

アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナへ

およそ3時間で登山口タルキートナに到着、ここで

予定では2泊し2,200m地点にあるベースキャンプまで

小型飛行機で飛ぶ。

天候の都合で、小型飛行機は飛べる時にすぐ出発する

常に出発できる体制にしておかねばなりませんでした。


2nd:ドキュメント≪石崎の腹とバーベキュー≫

タルキートナの部屋で石崎Dは登山パンツが閉まらない騒ぎ

エベレストの時が100kg、石崎は更に進化を遂げていた!

今年は雪が多い為〝ヒトゥンクレバス〟(クレバスの上に雪が

積もり穴が見えなくなる現象)と凍傷に注意が必要との事で

登頂成功率は37%、今年はコンディションが悪い!

それよりイモトは出発前に今晩開く予定のバーベキューの方が

気になっている、出発すれば最低でも半月はシャワーやベットの無い

テント生活が始まってしまう為、バーベキューを楽しみゆっくり

ベットで寝ておきたいのだ。

イモトがバーベキューの買い出しに出かけて間もなく、天候回復による

1時間後のフライトが決定!

イモトはスーパーに着く前に戻る事となってしまった、そして準備後

飛行場で待機、しかし天候は悪化ついに6時間待機後、本日のフライトは

中止となった。異常に喜ぶイモトと石崎!そうだバーベキューが出来る

そしてあと1晩ベットで眠れる歓喜だった。


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3nd:ドキュメント≪いよいよ極地へ出発≫

6月6日、小型飛行機でついに移動し、神が住む山とされる

【デナリ(地元で呼ばれている名】に向かう空から見る

マッキンリーは雄大で人々を寄せ付けない雰囲気がある。

標高2,200m、気温15℃、カルヒトナ氷河にある

ベースキャンプに到着。

マッキンリーは登山の原点、自分たちで荷物をすべて運ぶ

チームの荷物は総重量およそ1トン!これを皆で運ぶのです


4nd:ドキュメント≪C1から天候との戦い≫

6月7日、2,400mC1(キャンプ・ワン)まで歩く

6時間、9kmの行程、カルヒトナ氷河を歩くクレバスに

注意して進む、気温は20℃風呂に引入れないのに汗だくだ

出発してから6時間後、C1に到着。

ここでは白夜がつづく、時間の判断が出来ないためなるべく

食事と睡眠を時間通りに取る。

6月8日、天候が一変!登山隊がおおいに苦しむ事になるのです

雪で外はホワイトアウト状態で見えない、トイレに行くにも

クレバスに十分注意が必要、予報では2日間雪の予報が出ている

6月9日、雪で待機

6月10日、雪。残された日程は15日、あの頂にたどり着けるか?

6月11日、天候回復の兆し

6月12日、移動日中は夏の様に暑く、朝と夜はマイナス10℃になる

C2へ5時間で4km、高低差500m高度があがれば風も強くなる

予定通りC2に着く。

6月13日、入山8日目C3を目指す、2.5km、標高は3,400

やっと中間点だ。

6月14日、C3身体を高度順応させる、4時間登りキャンプに戻る

6月15日、順応日、北緯63度のため、空気は薄く高山病にかかり易い。


5nd:ドキュメント≪難所と腹痛≫

6月16日、C4へここからはソリなどの荷物を、穴に埋めて置いて行く

1, 000mの急斜面をアイゼンで登る、3年前事故が起こった場所だ

深さは20m以上のクレバスで落ちたら助からない、3年前の事故でも

遺体は発見されず氷河に埋もれている。

どこにでも開いているクレバス、気を抜けば仲間もろとも窮地におちいる

そんな急斜面を慎重に登っている時に、一行に心配していたことが起きる

高山病の兆候か、イモトがお腹の激痛に苦しみだす!しかもここは難所で

4,115m【ウインディーコーナー】と呼ばれ落石も頻繁に起こっている。

イモトも激痛に耐え難所を一歩づつ登る、そして少し平坦な場所へたどり着く

入山11日目、ついにマッキンリーの頂を目にする!

C4に到着、標高4,330mメディカルレンジャーもいる

ベイスンキャンプだ!


6nd:ドキュメント≪C4ライブと仲間≫

予定では4日間滞在で順応、イモトの高山病兆候により心が折れるのを

皆が心配する。いままで6千、7千、などを経験しているからこそ

心身的に4千メートルでの高山病兆候は本人が「なぜ?」と一番悩む

イモトに元気と活力を取り戻させなければ、チームの登頂は望めない!

そこで山男たちが考えたのが【C1LIVE】だ!

それぞれが知っている芸人のパフォーマンスを行うというものだ

しかし山に住む男たちは、出川哲郎を知らない物もいるのだ

そんな彼らがイモトとチームのために身体を張って雰囲気を盛り上げる!

イモトも大いに笑いみんなの優しさに涙する!

しかし頑張りすぎて、小野寺Dが足を痛めてしまう!

6月19日、入山2週間目C4、気温は20℃最終アタックに

向けて順応や身体を休めておく。


しかし思いもよらない事態に・・・・


雪が降ってきた大雪にならなければいいが・・


7nd:ドキュメント≪そして最終アタックへ≫

6月20日、雪は20~30cm降ったなんとか行けそうだ

8;32分、気温は5℃、C5標高5,248mハイキャンプを目指す

ここからは、セットしてあるフィックスロープを使いユマールで登り

ヘット・ウォールと呼ばれるまさに壁を這い上がる。

2時間半で斜面の半分、4,900m地点!

体調はイモトが腹痛、石崎も頭痛で高山病の兆候が出てきた

両側断崖の尾根を慎重に歩く、アイゼンが引っかからないよう慎重に

進み、標高5,248m、気温は11℃、C5・ハイキャンプに到達!


8nd:ドキュメント≪歓喜の全員登頂≫

6月21日、3:30分起床、マイナス20℃

5:15分、いい条件での最終アタックが出来そうである。

最後の難関に挑む!一行を待ち受けるものは・・・


先ず1つ目の難関、デナリ大斜面30度の急斜面を

トラバースで登る、イモトの手足に若干のシビレが出る

標高5,350mイモトに再び腹痛が・・・

しかしここは急斜面をトラバース中、上まで頑張れとしか

言えないのだ、何度もイモトの足が止まる!

それでもついにデナリ峠に、5,600m気温マイナス15℃

デナリ峠のその向こうに遥かなる頂が顔を出す

緩やかな斜面を進む、今のところ天候も安定している

最後の難関まで来た、断崖の稜線を歩くこの登山コースの

名前の由来となった、ウェスト・バットレスを慎重に歩く

あと少し、しかし天候が悪化した、急遽最終アタックを

少人数でチャレンジする事に、6名で出発残り200m

慎重に進む、残り50m!ついに見えた!!

北米大陸最高峰【マッキンリー】

マッキンリー登頂.jpg

6月21日、1:35分 登頂成功!

それから間もなく、残りのメンバーも登頂し全員での

マッキンリー登頂を果たした!


≪エピローグ≫

イモトは帰国後(正しくは放送後)にブログを更新

イッテQ登山部全員北米最高峰マッキンリー登頂成功致しました。

約一ヶ月、NO 電気、NO ガス、NO 水道、NO 電波のテント生活。

正直、生活面で言えば今までで一番しんどかった。

3日目にして髪の毛がベタつき始め、身体からよく分からない

臭いがしだし、マジでイーッとなる5秒前。っておまえは広末か・・

もちろん荷上げの量や撮影しながらのスタッフさんを考えると

私はとにかく登るのみなのであんまり弱音は言えないのですが、、、

とにかく今までに増してキツかったのです。


改めてヒマラヤ登山でお世話になったシェルパさんの偉大さを感じました。

今までは食料や撮影機材などの荷物は、シェルパさんが荷上げを

してくれていたのですが、それを今回は全て自分達で運ぶのですが

これがまぁ大変なのです。


ただ彼らが山男達はそれをやってのけるんです。

信じられない重さのリュックとソリを上まで運ぶんです。

そしてなんだかんだいいながら制作スタッフ、技術スタッフさんも運ぶんです。


そして雪の上のテント生活があれだけ苦手だった私も若干慣れてきてますし。

良いのか悪いのか、なんだかとんでもない集団になりつつある気がします。

そんな集団の中で挑戦出来ること本当にありがたい環境の中にいるなぁと

つくづく思います。

今回ほど登山部のチームワークを感じた山はないかもしれません。

皆さん一人一人のおかげでございます。


イッテQ登山部の挑戦は、見ていてほんとに楽しく山の素晴らしさが

伝わってきます、真剣に取り組むからこそ成功は近づき、相手を思いやる

事が出来るからこそ脱落者も出さず、テレビ放映出来ているのだと

感動させられました。

皆さん登頂、おめでとうございます!


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イモトが挑戦したマッキンリー登山の結果は【詳細説明】 [ドキュメンタリー]

イモトが挑戦したマッキンリー登山の結果は【詳細説明】

マッキンリー登頂.jpg

なのでした。イモトさんはブログでみんなの優しさが

支えてくれたと言っています。

第6の山へ挑戦、北米最高峰【マッキンリー】

マッキンリーとは?

「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。

マッキンリーといえば、登山冒険家の植村直己さんが世界初の

厳冬期単独登頂に成功した山で、残念ながらその下山途中に消息が

途絶え、現在でも遺体は発見されていません

また、最近でも日本人登山チームが雪崩に巻き込まれ命を落としている。


こんな注意書きが出ている【デナリ国立公園及び保護知己における登山では

時速96kmの風と氷点下摂氏54℃の夜中にテントが飛べば死はすぐそこだ】


マッキンリーとは、アメリカのアラスカ州にあり北米大陸最高峰の

標高6,168メートルだ!



今回のメンバーは?

登山部「イモトアヤコ」、国際登山ガイド「貫田宗男」

国際登山ガイド「角谷道弘」、「奥田仁一j、「中島健郎」

「水戸呂拓也」、「中村俊啓」、「飯田祐一郎」

ドクター「榊原嘉彦」

技術チーム、カメラマン「石井邦彦」、「門谷優」、音声「廣瀬あかり」

制作チーム、D「石崎史郎」、D「小野寺健」、AD「藤野研介」

総勢15名での挑戦となります。

McKinley4.jpg


≪プロローグ≫

2014年4月26日、イモトはネパールの標高6,400地点

メラピーク峰よりエベレスト登頂に意欲を見せていた時のこと

エベレストで史上最悪の雪崩による死亡事故が発生!

この年のエベレスト挑戦は断念する事となった。

それから1年、今年3月イッテQ登山部のエベレストは中止との

結論に達した。

しかし、数多くの登山訓練を無駄にしない為、視聴者の声に

応える為に第6の山に挑戦する。

それは、北米大陸最高峰【マッキンリー】6,186の名峰だ!

7大陸最高峰の一角でその行程は、20間25km高低差4,000m

南極、北極、エベレストにつぐ極地なのです。

イッテQ登山部は、新たなる目標に向け動き出す!




1nd:ドキュメント≪ベースキャンプまで≫

1か月に及ぶ北米大陸最高峰への挑戦が始まる!

アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナへ

およそ3時間で登山口タルキートナに到着、ここで

予定では2泊し2,200m地点にあるベースキャンプまで

小型飛行機で飛ぶ。

天候の都合で、小型飛行機は飛べる時にすぐ出発する

常に出発できる体制にしておかねばなりませんでした。


2nd:ドキュメント≪石崎の腹とバーベキュー≫

タルキートナの部屋で石崎Dは登山パンツが閉まらない騒ぎ

エベレストの時が100kg、石崎は更に進化を遂げていた!

今年は雪が多い為〝ヒトゥンクレバス〟(クレバスの上に雪が

積もり穴が見えなくなる現象)と凍傷に注意が必要との事で

登頂成功率は37%、今年はコンディションが悪い!

それよりイモトは出発前に今晩開く予定のバーベキューの方が

気になっている、出発すれば最低でも半月はシャワーやベットの無い

テント生活が始まってしまう為、バーベキューを楽しみゆっくり

ベットで寝ておきたいのだ。

イモトがバーベキューの買い出しに出かけて間もなく、天候回復による

1時間後のフライトが決定!

イモトはスーパーに着く前に戻る事となってしまった、そして準備後

飛行場で待機、しかし天候は悪化ついに6時間待機後、本日のフライトは

中止となった。異常に喜ぶイモトと石崎!そうだバーベキューが出来る

そしてあと1晩ベットで眠れる歓喜だった。






3nd:ドキュメント≪いよいよ極地へ出発≫

6月6日、小型飛行機でついに移動し、神が住む山とされる

【デナリ(地元で呼ばれている名】に向かう空から見る

マッキンリーは雄大で人々を寄せ付けない雰囲気がある。

標高2,200m、気温15℃、カルヒトナ氷河にある

ベースキャンプに到着。

マッキンリーは登山の原点、自分たちで荷物をすべて運ぶ

チームの荷物は総重量およそ1トン!これを皆で運ぶのです


4nd:ドキュメント≪C1から天候との戦い≫

6月7日、2,400mC1(キャンプ・ワン)まで歩く

6時間、9kmの行程、カルヒトナ氷河を歩くクレバスに

注意して進む、気温は20℃風呂に引入れないのに汗だくだ

出発してから6時間後、C1に到着。

ここでは白夜がつづく、時間の判断が出来ないためなるべく

食事と睡眠を時間通りに取る。

6月8日、天候が一変!登山隊がおおいに苦しむ事になるのです

雪で外はホワイトアウト状態で見えない、トイレに行くにも

クレバスに十分注意が必要、予報では2日間雪の予報が出ている

6月9日、雪で待機

6月10日、雪。残された日程は15日、あの頂にたどり着けるか?

6月11日、天候回復の兆し

6月12日、移動日中は夏の様に暑く、朝と夜はマイナス10℃になる

C2へ5時間で4km、高低差500m高度があがれば風も強くなる

予定通りC2に着く。

6月13日、入山8日目C3を目指す、2.5km、標高は3,400

やっと中間点だ。

6月14日、C3身体を高度順応させる、4時間登りキャンプに戻る

6月15日、順応日、北緯63度のため、空気は薄く高山病にかかり易い。


5nd:ドキュメント≪難所と腹痛≫

6月16日、C4へここからはソリなどの荷物を、穴に埋めて置いて行く

1, 000mの急斜面をアイゼンで登る、3年前事故が起こった場所だ

深さは20m以上のクレバスで落ちたら助からない、3年前の事故でも

遺体は発見されず氷河に埋もれている。

どこにでも開いているクレバス、気を抜けば仲間もろとも窮地におちいる

そんな急斜面を慎重に登っている時に、一行に心配していたことが起きる

高山病の兆候か、イモトがお腹の激痛に苦しみだす!しかもここは難所で

4,115m【ウインディーコーナー】と呼ばれ落石も頻繁に起こっている。

イモトも激痛に耐え難所を一歩づつ登る、そして少し平坦な場所へたどり着く

入山11日目、ついにマッキンリーの頂を目にする!

C4に到着、標高4,330mメディカルレンジャーもいる

ベイスンキャンプだ!


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マッキンリーコース.png

6nd:ドキュメント≪C4ライブと仲間≫

予定では4日間滞在で順応、イモトの高山病兆候により心が折れるのを

皆が心配する。いままで6千、7千、などを経験しているからこそ

心身的に4千メートルでの高山病兆候は本人が「なぜ?」と一番悩む

イモトに元気と活力を取り戻させなければ、チームの登頂は望めない!

そこで山男たちが考えたのが【C1LIVE】だ!

それぞれが知っている芸人のパフォーマンスを行うというものだ

しかし山に住む男たちは、出川哲郎を知らない物もいるのだ

そんな彼らがイモトとチームのために身体を張って雰囲気を盛り上げる!

イモトも大いに笑いみんなの優しさに涙する!

しかし頑張りすぎて、小野寺Dが足を痛めてしまう!

6月19日、入山2週間目C4、気温は20℃最終アタックに

向けて順応や身体を休めておく。


しかし思いもよらない事態に・・・・


雪が降ってきた大雪にならなければいいが・・


7nd:ドキュメント≪そして最終アタックへ≫

6月20日、雪は20~30cm降ったなんとか行けそうだ

8;32分、気温は5℃、C5標高5,248mハイキャンプを目指す

ここからは、セットしてあるフィックスロープを使いユマールで登り

ヘット・ウォールと呼ばれるまさに壁を這い上がる。

2時間半で斜面の半分、4,900m地点!

体調はイモトが腹痛、石崎も頭痛で高山病の兆候が出てきた

両側断崖の尾根を慎重に歩く、アイゼンが引っかからないよう慎重に

進み、標高5,248m、気温は11℃、C5・ハイキャンプに到達!


8nd:ドキュメント≪歓喜の全員登頂≫

6月21日、3:30分起床、マイナス20℃

5:15分、いい条件での最終アタックが出来そうである。

最後の難関に挑む!一行を待ち受けるものは・・・


先ず1つ目の難関、デナリ大斜面30度の急斜面を

トラバースで登る、イモトの手足に若干のシビレが出る

標高5,350mイモトに再び腹痛が・・・

しかしここは急斜面をトラバース中、上まで頑張れとしか

言えないのだ、何度もイモトの足が止まる!

それでもついにデナリ峠に、5,600m気温マイナス15℃

デナリ峠のその向こうに遥かなる頂が顔を出す

緩やかな斜面を進む、今のところ天候も安定している

最後の難関まで来た、断崖の稜線を歩くこの登山コースの

名前の由来となった、ウェスト・バットレスを慎重に歩く

あと少し、しかし天候が悪化した、急遽最終アタックを

少人数でチャレンジする事に、6名で出発残り200m

慎重に進む、残り50m!ついに見えた!!

北米大陸最高峰【マッキンリー】

6月21日、1:35分 登頂成功!

それから間もなく、残りのメンバーも登頂し全員での

マッキンリー登頂を果たした!


≪エピローグ≫

イモトは帰国後(正しくは放送後)にブログを更新

イッテQ登山部全員北米最高峰マッキンリー登頂成功致しました。

約一ヶ月、NO 電気、NO ガス、NO 水道、NO 電波のテント生活。

正直、生活面で言えば今までで一番しんどかった。

3日目にして髪の毛がベタつき始め、身体からよく分からない

臭いがしだし、マジでイーッとなる5秒前。っておまえは広末か・・

もちろん荷上げの量や撮影しながらのスタッフさんを考えると

私はとにかく登るのみなのであんまり弱音は言えないのですが、、、

とにかく今までに増してキツかったのです。


改めてヒマラヤ登山でお世話になったシェルパさんの偉大さを感じました。

今までは食料や撮影機材などの荷物は、シェルパさんが荷上げを

してくれていたのですが、それを今回は全て自分達で運ぶのですが

これがまぁ大変なのです。


ただ我らが山男達はそれをやってのけるんです。

信じられない重さのリュックとソリを上まで運ぶんです。

そしてなんだかんだいいながら制作スタッフ、技術スタッフさんも運ぶんです。


そして雪の上のテント生活があれだけ苦手だった私も若干慣れてきてますし。

良いのか悪いのか、なんだかとんでもない集団になりつつある気がします。

そんな集団の中で挑戦出来ること本当にありがたい環境の中にいるなぁと

つくづく思います。

今回ほど登山部のチームワークを感じた山はないかもしれません。

皆さん一人一人のおかげでございます。


イッテQ登山部の挑戦は、見ていてほんとに楽しく山の素晴らしさが

伝わってきます、真剣に取り組むからこそ成功は近づき、相手を思いやる

事が出来るからこそ脱落者も出さず、テレビ放映出来ているのだと

感動させられました。

皆さん登頂、おめでとうございます!


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イモトアヤコマッキンリーから無事帰国し今回の放送を迎えた [ドキュメンタリー]

イモトアヤコマッキンリーから無事帰国し今回の放送を迎えた

ブログでは同行した皆の、おかげだったと綴っている。


第6の山へ挑戦、北米最高峰【マッキンリー】

マッキンリーとは?

「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。

McKinley4.jpg

マッキンリーといえば、登山冒険家の植村直己さんが世界初の

厳冬期単独登頂に成功した山で、残念ながらその下山途中に消息が

途絶え、現在でも遺体は発見されていません

また、最近でも日本人登山チームが雪崩に巻き込まれ命を落としている。


こんな注意書きが出ている【デナリ国立公園及び保護知己における登山では

時速96kmの風と氷点下摂氏54℃の夜中にテントが飛べば死はすぐそこだ】


マッキンリーとは、アメリカのアラスカ州にあり北米大陸最高峰の

標高6,168メートルだ!



今回のメンバーは?

登山部「イモトアヤコ」、国際登山ガイド「貫田宗男」

国際登山ガイド「角谷道弘」、「奥田仁一j、「中島健郎」

「水戸呂拓也」、「中村俊啓」、「飯田祐一郎」

ドクター「榊原嘉彦」

技術チーム、カメラマン「石井邦彦」、「門谷優」、音声「廣瀬あかり」

制作チーム、D「石崎史郎」、D「小野寺健」、AD「藤野研介」

総勢15名での挑戦となります。


≪プロローグ≫

2014年4月26日、イモトはネパールの標高6,400地点

メラピーク峰よりエベレスト登頂に意欲を見せていた時のこと

エベレストで史上最悪の雪崩による死亡事故が発生!

この年のエベレスト挑戦は断念する事となった。

それから1年、今年3月イッテQ登山部のエベレストは中止との

結論に達した。

しかし、数多くの登山訓練を無駄にしない為、視聴者の声に

応える為に第6の山に挑戦する。

それは、北米大陸最高峰【マッキンリー】6,186の名峰だ!

7大陸最高峰の一角でその行程は、20間25km高低差4,000m

南極、北極、エベレストにつぐ極地なのです。

イッテQ登山部は、新たなる目標に向け動き出す!




1nd:ドキュメント≪ベースキャンプまで≫

1か月に及ぶ北米大陸最高峰への挑戦が始まる!

アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナへ

およそ3時間で登山口タルキートナに到着、ここで

予定では2泊し2,200m地点にあるベースキャンプまで

小型飛行機で飛ぶ。

天候の都合で、小型飛行機は飛べる時にすぐ出発する

常に出発できる体制にしておかねばなりませんでした。


2nd:ドキュメント≪石崎の腹とバーベキュー≫

タルキートナの部屋で石崎Dは登山パンツが閉まらない騒ぎ

エベレストの時が100kg、石崎は更に進化を遂げていた!

今年は雪が多い為〝ヒトゥンクレバス〟(クレバスの上に雪が

積もり穴が見えなくなる現象)と凍傷に注意が必要との事で

登頂成功率は37%、今年はコンディションが悪い!

それよりイモトは出発前に今晩開く予定のバーベキューの方が

気になっている、出発すれば最低でも半月はシャワーやベットの無い

テント生活が始まってしまう為、バーベキューを楽しみゆっくり

ベットで寝ておきたいのだ。

イモトがバーベキューの買い出しに出かけて間もなく、天候回復による

1時間後のフライトが決定!

イモトはスーパーに着く前に戻る事となってしまった、そして準備後

飛行場で待機、しかし天候は悪化ついに6時間待機後、本日のフライトは

中止となった。異常に喜ぶイモトと石崎!そうだバーベキューが出来る

そしてあと1晩ベットで眠れる歓喜だった。


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3nd:ドキュメント≪いよいよ極地へ出発≫

6月6日、小型飛行機でついに移動し、神が住む山とされる

【デナリ(地元で呼ばれている名】に向かう空から見る

マッキンリーは雄大で人々を寄せ付けない雰囲気がある。

標高2,200m、気温15℃、カルヒトナ氷河にある

ベースキャンプに到着。

マッキンリーは登山の原点、自分たちで荷物をすべて運ぶ

チームの荷物は総重量およそ1トン!これを皆で運ぶのです


4nd:ドキュメント≪C1から天候との戦い≫

6月7日、2,400mC1(キャンプ・ワン)まで歩く

6時間、9kmの行程、カルヒトナ氷河を歩くクレバスに

注意して進む、気温は20℃風呂に引入れないのに汗だくだ

出発してから6時間後、C1に到着。

ここでは白夜がつづく、時間の判断が出来ないためなるべく

食事と睡眠を時間通りに取る。

6月8日、天候が一変!登山隊がおおいに苦しむ事になるのです

雪で外はホワイトアウト状態で見えない、トイレに行くにも

クレバスに十分注意が必要、予報では2日間雪の予報が出ている

6月9日、雪で待機

6月10日、雪。残された日程は15日、あの頂にたどり着けるか?

6月11日、天候回復の兆し

6月12日、移動日中は夏の様に暑く、朝と夜はマイナス10℃になる

C2へ5時間で4km、高低差500m高度があがれば風も強くなる

予定通りC2に着く。

6月13日、入山8日目C3を目指す、2.5km、標高は3,400

やっと中間点だ。

6月14日、C3身体を高度順応させる、4時間登りキャンプに戻る

6月15日、順応日、北緯63度のため、空気は薄く高山病にかかり易い。


5nd:ドキュメント≪難所と腹痛≫

6月16日、C4へここからはソリなどの荷物を、穴に埋めて置いて行く

1, 000mの急斜面をアイゼンで登る、3年前事故が起こった場所だ

深さは20m以上のクレバスで落ちたら助からない、3年前の事故でも

遺体は発見されず氷河に埋もれている。

どこにでも開いているクレバス、気を抜けば仲間もろとも窮地におちいる

そんな急斜面を慎重に登っている時に、一行に心配していたことが起きる

高山病の兆候か、イモトがお腹の激痛に苦しみだす!しかもここは難所で

4,115m【ウインディーコーナー】と呼ばれ落石も頻繁に起こっている。

イモトも激痛に耐え難所を一歩づつ登る、そして少し平坦な場所へたどり着く

入山11日目、ついにマッキンリーの頂を目にする!

C4に到着、標高4,330mメディカルレンジャーもいる

ベイスンキャンプだ!

マッキンリーコース.png

6nd:ドキュメント≪C4ライブと仲間≫

予定では4日間滞在で順応、イモトの高山病兆候により心が折れるのを

皆が心配する。いままで6千、7千、などを経験しているからこそ

心身的に4千メートルでの高山病兆候は本人が「なぜ?」と一番悩む

イモトに元気と活力を取り戻させなければ、チームの登頂は望めない!

そこで山男たちが考えたのが【C1LIVE】だ!

それぞれが知っている芸人のパフォーマンスを行うというものだ

しかし山に住む男たちは、出川哲郎を知らない物もいるのだ

そんな彼らがイモトとチームのために身体を張って雰囲気を盛り上げる!

イモトも大いに笑いみんなの優しさに涙する!

しかし頑張りすぎて、小野寺Dが足を痛めてしまう!

6月19日、入山2週間目C4、気温は20℃最終アタックに

向けて順応や身体を休めておく。


しかし思いもよらない事態に・・・・


雪が降ってきた大雪にならなければいいが・・


7nd:ドキュメント≪そして最終アタックへ≫

6月20日、雪は20~30cm降ったなんとか行けそうだ

8;32分、気温は5℃、C5標高5,248mハイキャンプを目指す

ここからは、セットしてあるフィックスロープを使いユマールで登り

ヘット・ウォールと呼ばれるまさに壁を這い上がる。

2時間半で斜面の半分、4,900m地点!

体調はイモトが腹痛、石崎も頭痛で高山病の兆候が出てきた

両側断崖の尾根を慎重に歩く、アイゼンが引っかからないよう慎重に

進み、標高5,248m、気温は11℃、C5・ハイキャンプに到達!


8nd:ドキュメント≪歓喜の全員登頂≫

6月21日、3:30分起床、マイナス20℃

5:15分、いい条件での最終アタックが出来そうである。

最後の難関に挑む!一行を待ち受けるものは・・・


先ず1つ目の難関、デナリ大斜面30度の急斜面を

トラバースで登る、イモトの手足に若干のシビレが出る

標高5,350mイモトに再び腹痛が・・・

しかしここは急斜面をトラバース中、上まで頑張れとしか

言えないのだ、何度もイモトの足が止まる!

それでもついにデナリ峠に、5,600m気温マイナス15℃

デナリ峠のその向こうに遥かなる頂が顔を出す

緩やかな斜面を進む、今のところ天候も安定している

最後の難関まで来た、断崖の稜線を歩くこの登山コースの

名前の由来となった、ウェスト・バットレスを慎重に歩く

あと少し、しかし天候が悪化した、急遽最終アタックを

少人数でチャレンジする事に、6名で出発残り200m

慎重に進む、残り50m!ついに見えた!!

北米大陸最高峰【マッキンリー】

マッキンリー登頂.jpg

6月21日、1:35分 登頂成功!

それから間もなく、残りのメンバーも登頂し全員での

マッキンリー登頂を果たした!


≪エピローグ≫

イモトは帰国後(正しくは放送後)にブログを更新

イッテQ登山部全員北米最高峰マッキンリー登頂成功致しました。

約一ヶ月、NO 電気、NO ガス、NO 水道、NO 電波のテント生活。

正直、生活面で言えば今までで一番しんどかった。

3日目にして髪の毛がベタつき始め、身体からよく分からない

臭いがしだし、マジでイーッとなる5秒前。っておまえは広末か・・

もちろん荷上げの量や撮影しながらのスタッフさんを考えると

私はとにかく登るのみなのであんまり弱音は言えないのですが、、、

とにかく今までに増してキツかったのです。


改めてヒマラヤ登山でお世話になったシェルパさんの偉大さを感じました。

今までは食料や撮影機材などの荷物は、シェルパさんが荷上げを

してくれていたのですが、それを今回は全て自分達で運ぶのですが

これがまぁ大変なのです。


ただ我らが山男達はそれをやってのけるんです。

信じられない重さのリュックとソリを上まで運ぶんです。

そしてなんだかんだいいながら制作スタッフ、技術スタッフさんも運ぶんです。


そして雪の上のテント生活があれだけ苦手だった私も若干慣れてきてますし。

良いのか悪いのか、なんだかとんでもない集団になりつつある気がします。

そんな集団の中で挑戦出来ること本当にありがたい環境の中にいるなぁと

つくづく思います。

今回ほど登山部のチームワークを感じた山はないかもしれません。

皆さん一人一人のおかげでございます。


イッテQ登山部の挑戦は、見ていてほんとに楽しく山の素晴らしさが

伝わってきます、真剣に取り組むからこそ成功は近づき、相手を思いやる

事が出来るからこそ脱落者も出さず、テレビ放映出来ているのだと

感動させられました。

皆さん登頂、おめでとうございます!


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イッテQ登山部の石崎D今回は何をしてくれたか?マッキンリーでも同じ! [ドキュメンタリー]

イッテQ登山部の石崎D今回は何をしてくれたか?とコアな

ファンの間では人気がある。

マッキンリーでも、石崎のスタイルは変わらなかった!

いや・・・スタイルは変わっていたのだった!


エベレスト挑戦時、体重100㎏だったのだが、今回は

体重こそ発表されていないが、登山パンツが閉まらず

腹を出しての挑戦となった!


そして、ここでも石崎さんは一味違う!登山レンジャーの

注意事項説明では、他のメンバーが真剣に聞いている中

本人は爆睡し全く聞いていない。

すごいね!


C4キャンプでは、ウエストがとまらない為ヘソにゴミが

たまっていた事をイモトに指摘され、「取ってくれ」と甘え

そのゴミをイモトに投げるなど好き放題だ!


また今回はラストにそんな二人のキスシーンまであったのだ!

McKinley4.jpg

さあ今回の登山挑戦は・・・・

第6の山へ挑戦、北米最高峰【マッキンリー】

マッキンリーとは?

「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。

マッキンリーといえば、登山冒険家の植村直己さんが世界初の

厳冬期単独登頂に成功した山で、残念ながらその下山途中に消息が

途絶え、現在でも遺体は発見されていません

また、最近でも日本人登山チームが雪崩に巻き込まれ命を落としている。


こんな注意書きが出ている【デナリ国立公園及び保護知己における登山では

時速96kmの風と氷点下摂氏54℃の夜中にテントが飛べば死はすぐそこだ】


マッキンリーとは、アメリカのアラスカ州にあり北米大陸最高峰の

標高6,168メートルだ!



今回のメンバーは?

登山部「イモトアヤコ」、国際登山ガイド「貫田宗男」

国際登山ガイド「角谷道弘」、「奥田仁一j、「中島健郎」

「水戸呂拓也」、「中村俊啓」、「飯田祐一郎」

ドクター「榊原嘉彦」

技術チーム、カメラマン「石井邦彦」、「門谷優」、音声「廣瀬あかり」

制作チーム、D「石崎史郎」、D「小野寺健」、AD「藤野研介」

総勢15名での挑戦となります。



≪プロローグ≫

年4月26日、イモトはネパールの標高6,400地点

メラピーク峰よりエベレスト登頂に意欲を見せていた時のこと

エベレストで史上最悪の雪崩による死亡事故が発生!

この年のエベレスト挑戦は断念する事となった。

それから1年、今年3月イッテQ登山部のエベレストは中止との

結論に達した。

しかし、数多くの登山訓練を無駄にしない為、視聴者の声に

応える為に第6の山に挑戦する。

それは、北米大陸最高峰【マッキンリー】6,186の名峰だ!

7大陸最高峰の一角でその行程は、20間25km高低差4,000m

南極、北極、エベレストにつぐ極地なのです。

イッテQ登山部は、新たなる目標に向け動き出す!




1nd:ドキュメント≪ベースキャンプまで≫

1か月に及ぶ北米大陸最高峰への挑戦が始まる!

アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナへ

およそ3時間で登山口タルキートナに到着、ここで

予定では2泊し2,200m地点にあるベースキャンプまで

小型飛行機で飛ぶ。

天候の都合で、小型飛行機は飛べる時にすぐ出発する

常に出発できる体制にしておかねばなりませんでした。


2nd:ドキュメント≪石崎の腹とバーベキュー≫

タルキートナの部屋で石崎Dは登山パンツが閉まらない騒ぎ

エベレストの時が100kg、石崎は更に進化を遂げていた!

今年は雪が多い為〝ヒトゥンクレバス〟(クレバスの上に雪が

積もり穴が見えなくなる現象)と凍傷に注意が必要との事で

登頂成功率は37%、今年はコンディションが悪い!

それよりイモトは出発前に今晩開く予定のバーベキューの方が

気になっている、出発すれば最低でも半月はシャワーやベットの無い

テント生活が始まってしまう為、バーベキューを楽しみゆっくり

ベットで寝ておきたいのだ。

イモトがバーベキューの買い出しに出かけて間もなく、天候回復による

1時間後のフライトが決定!

イモトはスーパーに着く前に戻る事となってしまった、そして準備後

飛行場で待機、しかし天候は悪化ついに6時間待機後、本日のフライトは

中止となった。異常に喜ぶイモトと石崎!そうだバーベキューが出来る

そしてあと1晩ベットで眠れる歓喜だった。


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3nd:ドキュメント≪いよいよ極地へ出発≫

6月6日、小型飛行機でついに移動し、神が住む山とされる

【デナリ(地元で呼ばれている名】に向かう空から見る

マッキンリーは雄大で人々を寄せ付けない雰囲気がある。

標高2,200m、気温15℃、カルヒトナ氷河にある

ベースキャンプに到着。

マッキンリーは登山の原点、自分たちで荷物をすべて運ぶ

チームの荷物は総重量およそ1トン!これを皆で運ぶのです



4nd:ドキュメント≪C1から天候との戦い≫

6月7日、2,400mC1(キャンプ・ワン)まで歩く

6時間、9kmの行程、カルヒトナ氷河を歩くクレバスに

注意して進む、気温は20℃風呂に引入れないのに汗だくだ

出発してから6時間後、C1に到着。

ここでは白夜がつづく、時間の判断が出来ないためなるべく

食事と睡眠を時間通りに取る。

6月8日、天候が一変!登山隊がおおいに苦しむ事になるのです

雪で外はホワイトアウト状態で見えない、トイレに行くにも

クレバスに十分注意が必要、予報では2日間雪の予報が出ている

6月9日、雪で待機

6月10日、雪。残された日程は15日、あの頂にたどり着けるか?

6月11日、天候回復の兆し

6月12日、移動日中は夏の様に暑く、朝と夜はマイナス10℃になる

C2へ5時間で4km、高低差500m高度があがれば風も強くなる

予定通りC2に着く。

6月13日、入山8日目C3を目指す、2.5km、標高は3,400

やっと中間点だ。

6月14日、C3身体を高度順応させる、4時間登りキャンプに戻る

6月15日、順応日、北緯63度のため、空気は薄く高山病にかかり易い。



5nd:ドキュメント≪難所と腹痛≫

6月16日、C4へここからはソリなどの荷物を、穴に埋めて置いて行く

1, 000mの急斜面をアイゼンで登る、3年前事故が起こった場所だ

深さは20m以上のクレバスで落ちたら助からない、3年前の事故でも

遺体は発見されず氷河に埋もれている。

どこにでも開いているクレバス、気を抜けば仲間もろとも窮地におちいる

そんな急斜面を慎重に登っている時に、一行に心配していたことが起きる

高山病の兆候か、イモトがお腹の激痛に苦しみだす!しかもここは難所で

4,115m【ウインディーコーナー】と呼ばれ落石も頻繁に起こっている。

イモトも激痛に耐え難所を一歩づつ登る、そして少し平坦な場所へたどり着く

入山11日目、ついにマッキンリーの頂を目にする!

C4に到着、標高4,330mメディカルレンジャーもいる

ベイスンキャンプだ!

マッキンリーコース.png


6nd:ドキュメント≪C4ライブと仲間≫

予定では4日間滞在で順応、イモトの高山病兆候により心が折れるのを

皆が心配する。いままで6千、7千、などを経験しているからこそ

心身的に4千メートルでの高山病兆候は本人が「なぜ?」と一番悩む

イモトに元気と活力を取り戻させなければ、チームの登頂は望めない!

そこで山男たちが考えたのが【C1LIVE】だ!

それぞれが知っている芸人のパフォーマンスを行うというものだ

しかし山に住む男たちは、出川哲郎を知らない物もいるのだ

そんな彼らがイモトとチームのために身体を張って雰囲気を盛り上げる!

イモトも大いに笑いみんなの優しさに涙する!

しかし頑張りすぎて、小野寺Dが足を痛めてしまう!

6月19日、入山2週間目C4、気温は20℃最終アタックに

向けて順応や身体を休めておく。


しかし思いもよらない事態に・・・・


雪が降ってきた大雪にならなければいいが・・



7nd:ドキュメント≪そして最終アタックへ≫

6月20日、雪は20~30cm降ったなんとか行けそうだ

8;32分、気温は5℃、C5標高5,248mハイキャンプを目指す

ここからは、セットしてあるフィックスロープを使いユマールで登り

ヘット・ウォールと呼ばれるまさに壁を這い上がる。

2時間半で斜面の半分、4,900m地点!

体調はイモトが腹痛、石崎も頭痛で高山病の兆候が出てきた

両側断崖の尾根を慎重に歩く、アイゼンが引っかからないよう慎重に

進み、標高5,248m、気温は11℃、C5・ハイキャンプに到達!



8nd:ドキュメント≪歓喜の全員登頂≫

6月21日、3:30分起床、マイナス20℃

5:15分、いい条件での最終アタックが出来そうである。

最後の難関に挑む!一行を待ち受けるものは・・・


先ず1つ目の難関、デナリ大斜面30度の急斜面を

トラバースで登る、イモトの手足に若干のシビレが出る

標高5,350mイモトに再び腹痛が・・・

しかしここは急斜面をトラバース中、上まで頑張れとしか

言えないのだ、何度もイモトの足が止まる!

それでもついにデナリ峠に、5,600m気温マイナス15℃

デナリ峠のその向こうに遥かなる頂が顔を出す

緩やかな斜面を進む、今のところ天候も安定している

最後の難関まで来た、断崖の稜線を歩くこの登山コースの

名前の由来となった、ウェスト・バットレスを慎重に歩く

あと少し、しかし天候が悪化した、急遽最終アタックを

少人数でチャレンジする事に、6名で出発残り200m

慎重に進む、残り50m!ついに見えた!!

北米大陸最高峰【マッキンリー】

6月21日、1:35分 登頂成功!

マッキンリー登頂.jpg

それから間もなく、残りのメンバーも登頂し全員での

マッキンリー登頂を果たした!




≪エピローグ≫

イモトは帰国後(正しくは放送後)にブログを更新

イッテQ登山部全員北米最高峰マッキンリー登頂成功致しました。

約一ヶ月、NO 電気、NO ガス、NO 水道、NO 電波のテント生活。

正直、生活面で言えば今までで一番しんどかった。

3日目にして髪の毛がベタつき始め、身体からよく分からない

臭いがしだし、マジでイーッとなる5秒前。っておまえは広末か・・

もちろん荷上げの量や撮影しながらのスタッフさんを考えると

私はとにかく登るのみなのであんまり弱音は言えないのですが、、、

とにかく今までに増してキツかったのです。


改めてヒマラヤ登山でお世話になったシェルパさんの偉大さを感じました。

今までは食料や撮影機材などの荷物は、シェルパさんが荷上げを

してくれていたのですが、それを今回は全て自分達で運ぶのですが

これがまぁ大変なのです。


ただ我らが山男達はそれをやってのけるんです。

信じられない重さのリュックとソリを上まで運ぶんです。

そしてなんだかんだいいながら制作スタッフ、技術スタッフさんも運ぶんです。


そして雪の上のテント生活があれだけ苦手だった私も若干慣れてきてますし。

良いのか悪いのか、なんだかとんでもない集団になりつつある気がします。

そんな集団の中で挑戦出来ること本当にありがたい環境の中にいるなぁと

つくづく思います。

今回ほど登山部のチームワークを感じた山はないかもしれません。

皆さん一人一人のおかげでございます。


イッテQ登山部の挑戦は、見ていてほんとに楽しく山の素晴らしさが

伝わってきます、真剣に取り組むからこそ成功は近づき、相手を思いやる

事が出来るからこそ脱落者も出さず、テレビ放映出来ているのだと

感動させられました。

皆さん登頂、おめでとうございます!


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イッテQ登山部がマッキンリー登頂を果たした放送が流れました! [ドキュメンタリー]

イッテQ登山部がマッキンリー登頂を果たした放送が流れました

今回も素晴らしい登山ドキュメントでしたね

第6の山へ挑戦、北米最高峰【マッキンリー】

マッキンリーとは?

「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。

McKinley4.jpg


マッキンリーといえば、登山冒険家の植村直己さんが世界初の

厳冬期単独登頂に成功した山で、残念ながらその下山途中に消息が

途絶え、現在でも遺体は発見されていません

また、最近でも日本人登山チームが雪崩に巻き込まれ命を落としている。


こんな注意書きが出ている【デナリ国立公園及び保護知己における登山では

時速96kmの風と氷点下摂氏54℃の夜中にテントが飛べば死はすぐそこだ】


マッキンリーとは、アメリカのアラスカ州にあり北米大陸最高峰の

標高6,168メートルだ!



今回のメンバーは?

登山部「イモトアヤコ」、国際登山ガイド「貫田宗男」

国際登山ガイド「角谷道弘」、「奥田仁一j、「中島健郎」

「水戸呂拓也」、「中村俊啓」、「飯田祐一郎」

ドクター「榊原嘉彦」

技術チーム、カメラマン「石井邦彦」、「門谷優」、音声「廣瀬あかり」

制作チーム、D「石崎史郎」、D「小野寺健」、AD「藤野研介」

総勢15名での挑戦となります。


≪プロローグ≫

2014年4月26日、イモトはネパールの標高6,400地点

メラピーク峰よりエベレスト登頂に意欲を見せていた時のこと

エベレストで史上最悪の雪崩による死亡事故が発生!

この年のエベレスト挑戦は断念する事となった。

それから1年、今年3月イッテQ登山部のエベレストは中止との

結論に達した。

しかし、数多くの登山訓練を無駄にしない為、視聴者の声に

応える為に第6の山に挑戦する。

それは、北米大陸最高峰【マッキンリー】6,186の名峰だ!

7大陸最高峰の一角でその行程は、20間25km高低差4,000m

南極、北極、エベレストにつぐ極地なのです。

イッテQ登山部は、新たなる目標に向け動き出す!




1nd:ドキュメント≪ベースキャンプまで≫

1か月に及ぶ北米大陸最高峰への挑戦が始まる!

アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナへ

およそ3時間で登山口タルキートナに到着、ここで

予定では2泊し2,200m地点にあるベースキャンプまで

小型飛行機で飛ぶ。

天候の都合で、小型飛行機は飛べる時にすぐ出発する

常に出発できる体制にしておかねばなりませんでした。



2nd:ドキュメント≪石崎の腹とバーベキュー≫

タルキートナの部屋で石崎Dは登山パンツが閉まらない騒ぎ

エベレストの時が100kg、石崎は更に進化を遂げていた!

今年は雪が多い為〝ヒトゥンクレバス〟(クレバスの上に雪が

積もり穴が見えなくなる現象)と凍傷に注意が必要との事で

登頂成功率は37%、今年はコンディションが悪い!

それよりイモトは出発前に今晩開く予定のバーベキューの方が

気になっている、出発すれば最低でも半月はシャワーやベットの無い

テント生活が始まってしまう為、バーベキューを楽しみゆっくり

ベットで寝ておきたいのだ。

イモトがバーベキューの買い出しに出かけて間もなく、天候回復による

1時間後のフライトが決定!

イモトはスーパーに着く前に戻る事となってしまった、そして準備後

飛行場で待機、しかし天候は悪化ついに6時間待機後、本日のフライトは

中止となった。異常に喜ぶイモトと石崎!そうだバーベキューが出来る

そしてあと1晩ベットで眠れる歓喜だった。


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3nd:ドキュメント≪いよいよ極地へ出発≫

6月6日、小型飛行機でついに移動し、神が住む山とされる

【デナリ(地元で呼ばれている名】に向かう空から見る

マッキンリーは雄大で人々を寄せ付けない雰囲気がある。

標高2,200m、気温15℃、カルヒトナ氷河にある

ベースキャンプに到着。

マッキンリーは登山の原点、自分たちで荷物をすべて運ぶ

チームの荷物は総重量およそ1トン!これを皆で運ぶのです



4nd:ドキュメント≪C1から天候との戦い≫

6月7日、2,400mC1(キャンプ・ワン)まで歩く

6時間、9kmの行程、カルヒトナ氷河を歩くクレバスに

注意して進む、気温は20℃風呂に引入れないのに汗だくだ

出発してから6時間後、C1に到着。

ここでは白夜がつづく、時間の判断が出来ないためなるべく

食事と睡眠を時間通りに取る。

6月8日、天候が一変!登山隊がおおいに苦しむ事になるのです

雪で外はホワイトアウト状態で見えない、トイレに行くにも

クレバスに十分注意が必要、予報では2日間雪の予報が出ている

6月9日、雪で待機

6月10日、雪。残された日程は15日、あの頂にたどり着けるか?

6月11日、天候回復の兆し

6月12日、移動日中は夏の様に暑く、朝と夜はマイナス10℃になる

C2へ5時間で4km、高低差500m高度があがれば風も強くなる

予定通りC2に着く。

6月13日、入山8日目C3を目指す、2.5km、標高は3,400

やっと中間点だ。

6月14日、C3身体を高度順応させる、4時間登りキャンプに戻る

6月15日、順応日、北緯63度のため、空気は薄く高山病にかかり易い。



5nd:ドキュメント≪難所と腹痛≫

6月16日、C4へここからはソリなどの荷物を、穴に埋めて置いて行く

1, 000mの急斜面をアイゼンで登る、3年前事故が起こった場所だ

深さは20m以上のクレバスで落ちたら助からない、3年前の事故でも

遺体は発見されず氷河に埋もれている。

どこにでも開いているクレバス、気を抜けば仲間もろとも窮地におちいる

そんな急斜面を慎重に登っている時に、一行に心配していたことが起きる

高山病の兆候か、イモトがお腹の激痛に苦しみだす!しかもここは難所で

4,115m【ウインディーコーナー】と呼ばれ落石も頻繁に起こっている。

イモトも激痛に耐え難所を一歩づつ登る、そして少し平坦な場所へたどり着く

入山11日目、ついにマッキンリーの頂を目にする!

C4に到着、標高4,330mメディカルレンジャーもいる

ベイスンキャンプだ!

マッキンリーコース.png

6nd:ドキュメント≪C4ライブと仲間≫

予定では4日間滞在で順応、イモトの高山病兆候により心が折れるのを

皆が心配する。いままで6千、7千、などを経験しているからこそ

心身的に4千メートルでの高山病兆候は本人が「なぜ?」と一番悩む

イモトに元気と活力を取り戻させなければ、チームの登頂は望めない!

そこで山男たちが考えたのが【C1LIVE】だ!

それぞれが知っている芸人のパフォーマンスを行うというものだ

しかし山に住む男たちは、出川哲郎を知らない物もいるのだ

そんな彼らがイモトとチームのために身体を張って雰囲気を盛り上げる!

イモトも大いに笑いみんなの優しさに涙する!

しかし頑張りすぎて、小野寺Dが足を痛めてしまう!

6月19日、入山2週間目C4、気温は20℃最終アタックに

向けて順応や身体を休めておく。


しかし思いもよらない事態に・・・・


雪が降ってきた大雪にならなければいいが・・



7nd:ドキュメント≪そして最終アタックへ≫

6月20日、雪は20~30cm降ったなんとか行けそうだ

8;32分、気温は5℃、C5標高5,248mハイキャンプを目指す

ここからは、セットしてあるフィックスロープを使いユマールで登り

ヘット・ウォールと呼ばれるまさに壁を這い上がる。

2時間半で斜面の半分、4,900m地点!

体調はイモトが腹痛、石崎も頭痛で高山病の兆候が出てきた

両側断崖の尾根を慎重に歩く、アイゼンが引っかからないよう慎重に

進み、標高5,248m、気温は11℃、C5・ハイキャンプに到達!



8nd:ドキュメント≪歓喜の全員登頂≫

6月21日、3:30分起床、マイナス20℃

5:15分、いい条件での最終アタックが出来そうである。

最後の難関に挑む!一行を待ち受けるものは・・・


先ず1つ目の難関、デナリ大斜面30度の急斜面を

トラバースで登る、イモトの手足に若干のシビレが出る

標高5,350mイモトに再び腹痛が・・・

しかしここは急斜面をトラバース中、上まで頑張れとしか

言えないのだ、何度もイモトの足が止まる!

それでもついにデナリ峠に、5,600m気温マイナス15℃

デナリ峠のその向こうに遥かなる頂が顔を出す

緩やかな斜面を進む、今のところ天候も安定している

最後の難関まで来た、断崖の稜線を歩くこの登山コースの

名前の由来となった、ウェスト・バットレスを慎重に歩く

あと少し、しかし天候が悪化した、急遽最終アタックを

少人数でチャレンジする事に、6名で出発残り200m

慎重に進む、残り50m!ついに見えた!!

北米大陸最高峰【マッキンリー】

6月21日、1:35分 登頂成功!

それから間もなく、残りのメンバーも登頂し全員での

マッキンリー登頂を果たした!


マッキンリー登頂.jpg


≪エピローグ≫

イモトは帰国後(正しくは放送後)にブログを更新

イッテQ登山部全員北米最高峰マッキンリー登頂成功致しました。

約一ヶ月、NO 電気、NO ガス、NO 水道、NO 電波のテント生活。

正直、生活面で言えば今までで一番しんどかった。

3日目にして髪の毛がベタつき始め、身体からよく分からない

臭いがしだし、マジでイーッとなる5秒前。っておまえは広末か・・

もちろん荷上げの量や撮影しながらのスタッフさんを考えると

私はとにかく登るのみなのであんまり弱音は言えないのですが、、、

とにかく今までに増してキツかったのです。


改めてヒマラヤ登山でお世話になったシェルパさんの偉大さを感じました。

今までは食料や撮影機材などの荷物は、シェルパさんが荷上げを

してくれていたのですが、それを今回は全て自分達で運ぶのですが

これがまぁ大変なのです。


ただ我らが山男達はそれをやってのけるんです。

信じられない重さのリュックとソリを上まで運ぶんです。

そしてなんだかんだいいながら制作スタッフ、技術スタッフさんも運ぶんです。


そして雪の上のテント生活があれだけ苦手だった私も若干慣れてきてますし。

良いのか悪いのか、なんだかとんでもない集団になりつつある気がします。

そんな集団の中で挑戦出来ること本当にありがたい環境の中にいるなぁと

つくづく思います。

今回ほど登山部のチームワークを感じた山はないかもしれません。

皆さん一人一人のおかげでございます。


イッテQ登山部の挑戦は、見ていてほんとに楽しく山の素晴らしさが

伝わってきます、真剣に取り組むからこそ成功は近づき、相手を思いやる

事が出来るからこそ脱落者も出さず、テレビ放映出来ているのだと

感動させられました。

皆さん登頂、おめでとうございます!


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イッテQでマッキンリー登頂をした登山部今回のメンバーはこの方々です [ドキュメンタリー]

イッテQでマッキンリー登頂をした登山部今回のメンバーはこの方々

今回のメンバーは?

登山部「イモトアヤコ」、国際登山ガイド「貫田宗男」

国際登山ガイド「角谷道弘」、「奥田仁一j、「中島健郎」

「水戸呂拓也」、「中村俊啓」、「飯田祐一郎」

ドクター「榊原嘉彦」

技術チーム、カメラマン「石井邦彦」、「門谷優」、音声「廣瀬あかり」

制作チーム、D「石崎史郎」、D「小野寺健」、AD「藤野研介」

総勢15名での挑戦となります。


第6の山へ挑戦、北米最高峰【マッキンリー】

マッキンリーとは?

「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。

マッキンリーといえば、登山冒険家の植村直己さんが世界初の

厳冬期単独登頂に成功した山で、残念ながらその下山途中に消息が

途絶え、現在でも遺体は発見されていません

また、最近でも日本人登山チームが雪崩に巻き込まれ命を落としている。


こんな注意書きが出ている【デナリ国立公園及び保護知己における登山では

時速96kmの風と氷点下摂氏54℃の夜中にテントが飛べば死はすぐそこだ】


マッキンリーとは、アメリカのアラスカ州にあり北米大陸最高峰の

標高6,168メートルだ!

McKinley4.jpg

≪プロローグ≫

2014年4月26日、イモトはネパールの標高6,400地点

メラピーク峰よりエベレスト登頂に意欲を見せていた時のこと

エベレストで史上最悪の雪崩による死亡事故が発生!

この年のエベレスト挑戦は断念する事となった。

それから1年、今年3月イッテQ登山部のエベレストは中止との

結論に達した。

しかし、数多くの登山訓練を無駄にしない為、視聴者の声に

応える為に第6の山に挑戦する。

それは、北米大陸最高峰【マッキンリー】6,186の名峰だ!

7大陸最高峰の一角でその行程は、20間25km高低差4,000m

南極、北極、エベレストにつぐ極地なのです。

イッテQ登山部は、新たなる目標に向け動き出す!




1nd:ドキュメント≪ベースキャンプまで≫

1か月に及ぶ北米大陸最高峰への挑戦が始まる!

アンカレッジからアラスカ鉄道でタルキートナへ

およそ3時間で登山口タルキートナに到着、ここで

予定では2泊し2,200m地点にあるベースキャンプまで

小型飛行機で飛ぶ。

天候の都合で、小型飛行機は飛べる時にすぐ出発する

常に出発できる体制にしておかねばなりませんでした。



2nd:ドキュメント≪石崎の腹とバーベキュー≫

タルキートナの部屋で石崎Dは登山パンツが閉まらない騒ぎ

エベレストの時が100kg、石崎は更に進化を遂げていた!

今年は雪が多い為〝ヒトゥンクレバス〟(クレバスの上に雪が

積もり穴が見えなくなる現象)と凍傷に注意が必要との事で

登頂成功率は37%、今年はコンディションが悪い!

それよりイモトは出発前に今晩開く予定のバーベキューの方が

気になっている、出発すれば最低でも半月はシャワーやベットの無い

テント生活が始まってしまう為、バーベキューを楽しみゆっくり

ベットで寝ておきたいのだ。

イモトがバーベキューの買い出しに出かけて間もなく、天候回復による

1時間後のフライトが決定!

イモトはスーパーに着く前に戻る事となってしまった、そして準備後

飛行場で待機、しかし天候は悪化ついに6時間待機後、本日のフライトは

中止となった。異常に喜ぶイモトと石崎!そうだバーベキューが出来る

そしてあと1晩ベットで眠れる歓喜だった。



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3nd:ドキュメント≪いよいよ極地へ出発≫

6月6日、小型飛行機でついに移動し、神が住む山とされる

【デナリ(地元で呼ばれている名】に向かう空から見る

マッキンリーは雄大で人々を寄せ付けない雰囲気がある。

標高2,200m、気温15℃、カルヒトナ氷河にある

ベースキャンプに到着。

マッキンリーは登山の原点、自分たちで荷物をすべて運ぶ

チームの荷物は総重量およそ1トン!これを皆で運ぶのです



4nd:ドキュメント≪C1から天候との戦い≫

6月7日、2,400mC1(キャンプ・ワン)まで歩く

6時間、9kmの行程、カルヒトナ氷河を歩くクレバスに

注意して進む、気温は20℃風呂に引入れないのに汗だくだ

出発してから6時間後、C1に到着。

ここでは白夜がつづく、時間の判断が出来ないためなるべく

食事と睡眠を時間通りに取る。

6月8日、天候が一変!登山隊がおおいに苦しむ事になるのです

雪で外はホワイトアウト状態で見えない、トイレに行くにも

クレバスに十分注意が必要、予報では2日間雪の予報が出ている

6月9日、雪で待機

6月10日、雪。残された日程は15日、あの頂にたどり着けるか?

6月11日、天候回復の兆し

6月12日、移動日中は夏の様に暑く、朝と夜はマイナス10℃になる

C2へ5時間で4km、高低差500m高度があがれば風も強くなる

予定通りC2に着く。

6月13日、入山8日目C3を目指す、2.5km、標高は3,400

やっと中間点だ。

6月14日、C3身体を高度順応させる、4時間登りキャンプに戻る

6月15日、順応日、北緯63度のため、空気は薄く高山病にかかり易い。

5nd:ドキュメント≪難所と腹痛≫

6月16日、C4へここからはソリなどの荷物を、穴に埋めて置いて行く

1, 000mの急斜面をアイゼンで登る、3年前事故が起こった場所だ

深さは20m以上のクレバスで落ちたら助からない、3年前の事故でも

遺体は発見されず氷河に埋もれている。

どこにでも開いているクレバス、気を抜けば仲間もろとも窮地におちいる

そんな急斜面を慎重に登っている時に、一行に心配していたことが起きる

高山病の兆候か、イモトがお腹の激痛に苦しみだす!しかもここは難所で

4,115m【ウインディーコーナー】と呼ばれ落石も頻繁に起こっている。

イモトも激痛に耐え難所を一歩づつ登る、そして少し平坦な場所へたどり着く

入山11日目、ついにマッキンリーの頂を目にする!

C4に到着、標高4,330mメディカルレンジャーもいる

ベイスンキャンプだ!

マッキンリーコース.png

6nd:ドキュメント≪C4ライブと仲間≫

予定では4日間滞在で順応、イモトの高山病兆候により心が折れるのを

皆が心配する。いままで6千、7千、などを経験しているからこそ

心身的に4千メートルでの高山病兆候は本人が「なぜ?」と一番悩む

イモトに元気と活力を取り戻させなければ、チームの登頂は望めない!

そこで山男たちが考えたのが【C1LIVE】だ!

それぞれが知っている芸人のパフォーマンスを行うというものだ

しかし山に住む男たちは、出川哲郎を知らない物もいるのだ

そんな彼らがイモトとチームのために身体を張って雰囲気を盛り上げる!

イモトも大いに笑いみんなの優しさに涙する!

しかし頑張りすぎて、小野寺Dが足を痛めてしまう!

6月19日、入山2週間目C4、気温は20℃最終アタックに

向けて順応や身体を休めておく。


しかし思いもよらない事態に・・・・


雪が降ってきた大雪にならなければいいが・・



7nd:ドキュメント≪そして最終アタックへ≫

6月20日、雪は20~30cm降ったなんとか行けそうだ

8;32分、気温は5℃、C5標高5,248mハイキャンプを目指す

ここからは、セットしてあるフィックスロープを使いユマールで登り

ヘット・ウォールと呼ばれるまさに壁を這い上がる。

2時間半で斜面の半分、4,900m地点!

体調はイモトが腹痛、石崎も頭痛で高山病の兆候が出てきた

両側断崖の尾根を慎重に歩く、アイゼンが引っかからないよう慎重に

進み、標高5,248m、気温は11℃、C5・ハイキャンプに到達!



8nd:ドキュメント≪歓喜の全員登頂≫

6月21日、3:30分起床、マイナス20℃

5:15分、いい条件での最終アタックが出来そうである。

最後の難関に挑む!一行を待ち受けるものは・・・


先ず1つ目の難関、デナリ大斜面30度の急斜面を

トラバースで登る、イモトの手足に若干のシビレが出る

標高5,350mイモトに再び腹痛が・・・

しかしここは急斜面をトラバース中、上まで頑張れとしか

言えないのだ、何度もイモトの足が止まる!

それでもついにデナリ峠に、5,600m気温マイナス15℃

デナリ峠のその向こうに遥かなる頂が顔を出す

緩やかな斜面を進む、今のところ天候も安定している

最後の難関まで来た、断崖の稜線を歩くこの登山コースの

名前の由来となった、ウェスト・バットレスを慎重に歩く

あと少し、しかし天候が悪化した、急遽最終アタックを

少人数でチャレンジする事に、6名で出発残り200m

慎重に進む、残り50m!ついに見えた!!

北米大陸最高峰【マッキンリー】


マッキンリー登頂.jpg



6月21日、1:35分 登頂成功!

それから間もなく、残りのメンバーも登頂し全員での

マッキンリー登頂を果たした!



≪エピローグ≫

イモトは帰国後(正しくは放送後)にブログを更新

イッテQ登山部全員北米最高峰マッキンリー登頂成功致しました。

約一ヶ月、NO 電気、NO ガス、NO 水道、NO 電波のテント生活。

正直、生活面で言えば今までで一番しんどかった。

3日目にして髪の毛がベタつき始め、身体からよく分からない

臭いがしだし、マジでイーッとなる5秒前。っておまえは広末か・・

もちろん荷上げの量や撮影しながらのスタッフさんを考えると

私はとにかく登るのみなのであんまり弱音は言えないのですが、、、

とにかく今までに増してキツかったのです。


改めてヒマラヤ登山でお世話になったシェルパさんの偉大さを感じました。

今までは食料や撮影機材などの荷物は、シェルパさんが荷上げを

してくれていたのですが、それを今回は全て自分達で運ぶのですが

これがまぁ大変なのです。


ただ我らが山男達はそれをやってのけるんです。

信じられない重さのリュックとソリを上まで運ぶんです。

そしてなんだかんだいいながら制作スタッフ、技術スタッフさんも運ぶんです。


そして雪の上のテント生活があれだけ苦手だった私も若干慣れてきてますし。

良いのか悪いのか、なんだかとんでもない集団になりつつある気がします。

そんな集団の中で挑戦出来ること本当にありがたい環境の中にいるなぁと

つくづく思います。

今回ほど登山部のチームワークを感じた山はないかもしれません。

皆さん一人一人のおかげでございます。


イッテQ登山部の挑戦は、見ていてほんとに楽しく山の素晴らしさが

伝わってきます、真剣に取り組むからこそ成功は近づき、相手を思いやる

事が出来るからこそ脱落者も出さず、テレビ放映出来ているのだと

感動させられました。

皆さん登頂、おめでとうございます!


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7月26日(日)世界の果てまでイッテQ「マッキンリー登頂プロジェクト」放映 [ドキュメンタリー]

7月26日(日)世界の果てまでイッテQ

2時間スペシャルで、ついにイモトさんが

挑んだ「マッキンリー登頂プロジェクト」を

放映してくれます。


6月28日放映でのコンタクトは、C-3にて

10日目との電話だった!

いったいどんな危険な場所を登っていたのだろう?


今年エベレスト登頂を断念し、次に挑戦の

名を上げたのが「北米大陸最高峰マッキンリー」

まず7月26日(日)放送の予告をご覧ください!

http://vod.ntv.co.jp/f/view/?contentsId=10211#ooid=1pdWo5djowhLEHmrAoTBXXBK8DqEj-bO


そして、改めてどんな挑戦をイッテQ登山部は

行うのかを見てみよう!

マッキンリー【デナリ】は、年間1200名ほどの登山者が入山する


★危険度(デナリ国立公国登山小冊子より抜粋)


「マッキンリー【デナリ】は、北緯63度に位置し、北極圏に近い

北アメリカ最高峰です。



アラスカの中央平野を貫いて聳え立つデナリは、アラスカ湾

からの嵐と.ベーリング海からの嵐にもまれます。

世界のどこの地でも、天候がこれほどまでに倹しく変化する山は

ほとんど存在しない。

氷河の旅の快い一日が急激に悪化して、生存のために雪洞を

掘る日に変わる可能性があります。



激烈な寒さは、北極山脈だけに匹敵するものです。

エベレスト(26,200フィート(7,986m))で10月下旬の最低気温は

1981年に氷点下華氏17度が記録されています。

デナリでは、これは5月および6月のたったの(14,300フィート(4,359m))

での気温に相当し、かなり暖かい夜と言えます。

ハイ・キャンプから山頂までの気温は、真夏でも、定期的に氷点下

華氏20度から40度で、夜は更に低くなります。


デナリでは、登山者の間により多数の低酸素血症が発生します。

所定の標高での気圧が、赤道により近い山よりも一層低いためてす。

この違いは、ほぼ1万フィート以上で顕著になり、デナリの山頂は、

気象状況によっては、ヒマラヤの21,000ft(6,400m)から

23,000ft(7,010m)に相当します。



気圧はまた、夏よりも冬のほうがずっと低くなります。気圧がより低いと、

空気中の酸素がより少ないことを意味します。

従って、デナリの低酸素血症ストレスおよび肉体的挑戦は、その標高から

予想するよりも一層大きいのです。」


そんな場所に挑戦中のイモトさん達登山部ですが、山の形が解らないと

C3ってどこ?って感じなので作りました。


図1.jpg

転写不可


さあついにマッキンリーに挑戦した登山部の

全貌が明らかになります。

たのしみです。






2012年1月イッテQ登山部、5番目の山は南米最高峰【アコンカグア】 [ドキュメンタリー]

第4の挑戦ビエント・ブラント吹き荒れる南米最高峰【アコンカグア】

アコンカグアとは?

アルゼンチンとチリの国境にあるアンデス山脈にあり

アルゼンチン側にある、南米最高峰の山で標高6,960m

岩の衛兵と呼ばれ登山者を拒んでいる。


今回のメンバーは?

登山部平部員「イモト」、登山部主任「石崎」、チームリーダー「角谷」さん

国際登山ガイド「貫田」さん、日本山岳会のホープ「中島」さん、

カメラマン「石井」さん、「佐々木」さん、「門谷」さん

ディレクター「小野寺」さん、AD「かっしー」


≪プロローグ≫

日本人初登頂は、1953年「早稲田大学遠征隊」で

あの「植村直己」も登頂し下山時に登頂した隣の山が

初登頂だったので、「明治峰」と命名された。

この山はアンデス地方特有の悪天候が多く

特に【ビエント・ブランコ(白い嵐)】と呼ばれる吹雪で

しばしば行動困難に陥る事も多い為、入山者の

登頂成功率は30%ほどなのです。

工程は50kmを5カ所のキャンプ地経由で登ります。


図21.jpg


1nd:ドキュメント≪12/28アコンカグア国立公園≫

初日は、オルコネス谷が本流と下部オルコネス谷に別れる

コンフルエンシア(3368m)までの、ところどころに橋が架かり

泥水のような濁流となった川を渡る距離約10km、4~5時間で

到着です。道路はしっかりしているので、順調に進みます。

コンフルエンシアキャンプでは身体を順応させるために

2泊する決まりがある。


2nd:ドキュメント≪12/29高度順応日≫

南北7,500kmに渡り連なるアンデス山脈

身体を馴らすために、キャンプから4時間歩いて進み

4時間歩いてキャンプに戻る。

そのことを物語るように高山病の発生は多い。


3nd:ドキュメント≪アコンカグア南壁の裏側コース≫

12/30ベースキャンプのプラサ・デ・ムーラスまでの

15km9時間の道のりを進みます。

コンフルエンシアからは広くなったオルコネス谷の

本流を進み、緑は無くなり、赤茶けた風景が延々と続き

吹き降ろす風はすでに冷たく感じこの先の不安を煽ります。

水量は少ないが、所々で膝下までの水嵩があったりするため

氷河から溶け出した水が身を切るように冷たく、アンデス山脈の

偉大さを感じつつ進みます。

BCプラサ・デ・ムーラスでは健康診断も行われます。


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4nd:ドキュメント≪謹賀新年≫

順応と最終アタック日の天候を予測し工程を考える

アンデス地方特有の悪天候は避けなければ夢の頂には

届かないのだ!

イモトは日本から持参の着物で新年を迎えた、御来光が

チームの無事を支えてくれるように暖かく日差しを届けてくれた。


5nd:ドキュメント≪ぺ二テンテ氷塔≫

1/3天候快晴、C! キャンプカナダ5050mを目指す!

めずらしいペニテンテ氷塔を抜ける4,900m

白い氷の花と呼ばれ、針のように尖った氷が

花のように当たり一面に広がり、太陽に照らされて

輝く氷は、まるで宝石です。

「ペニテンテ」は太陽によって溶け出した

氷や雪が、再び冷気を帯びた風にあおられることで

先端の尖った帽子のような形状となります。

気温が常に氷点下で太陽の光りが良く当たる場所

このような条件が揃って白い氷の花は出来上がるようです。


6nd:ドキュメント≪天候の悪化≫

1人倒れれば登頂は断念するしかありません、C1キャンプ

1/4C2のニド・デ・コンドレスを目指す!水分も資材も

自分たちで運ぶ。C2の標高はついに5500mになる

9日目が大雪、10日目が強風だった

そして最終キャンプ地点のキャンプ・コレラを目指す

標高6,000mキャンプコレラでアタック日を決める。

大雪が降ったため、コース変更を余儀なくされる。


7nd:ドキュメント≪体感温度マイナス30℃≫

先日降った大雪で、先導ではラッセルが必要となった

ラッセルとは、 登山で、深雪の中を雪を掻き分けて

道を作りながら進むことを言いい、ものすごい体力の

消耗と技術力が要求されます。

今後の工程は、朝4:00に出発し大トラバス地帯を抜け

40度の斜面グランカナレーターを進み頂を目指す。

しかし、イモト達に最大の試練が待ち受けていた。


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8nd:ドキュメント≪高山病の症状との戦い≫

日が登る前の時間帯は気温マイナス23℃、風が出てくれば

体感温度はマイナス30℃を超える、先導ではラッセルが

続き交代で進み道を作るが体力も限界に近い、吹雪で

立ち往生し、大トラバース地帯で風が吹けば体感温度は

マイナス40℃を超える!

強風はさらに強まり、試練は続く傾斜度40度の

グランカナレータが自由を奪い、体力を奪う!

イモトに高山病の症状が出始める、標高は6,700m

まで到達していた。


9nd:ドキュメント≪ビエントブランコ≫

遥かなる頂まであと400mほどの地点だ

しかし、ついに恐れていた言葉が「ビエントプランコが来る」

いつの日も自分との闘いなのだ、雪にならなければ

コース変更がなければ、すでに終わってしまったこと!

あと、わずか350m!最後はとどかなかった!

だが、角谷さんは言う「頂に連れて行ってあげたい、あと少し

だから・・・しかし判断では情に流されると死を招くのだ」と

とどかなかったアンデスの頂、6890m断念!


 ≪エピローグ≫

イモトは帰国後こうつぶやいている

途中、胃が痛くて何もしゃべらない私の代わりに

声を出し励まし続けてくれたかどやさん。

かどやさんの「絶対登るって言ったじゃないですか」

という言葉で奮い立たされました。


いつも的確な判断で引っ張ってくださる還暦ぬきたさん。

テントでいつもお湯を作ってくれたリアル三歩のなかじまさん。

深い雪のラッセルを自らかってでてくれた現地のナタとホアン。

歩くだけでも辛いのに、そこをカメラをまわしてくれた

カメラマンさんたち。

三ヶ月前から足に重りをつけ訓練して挑んだ小野寺さん。

いつもメイク道具を持ってくれたり身の回りの世話をしてくれた

同い年かっしー。

今回は何だかんだ仲間の素晴らしさを感じました。

本当にこのチームで挑めたことが一番の思い出になりました。と



決断を経験できたのは今後の挑戦にプラスと

なるでしょう。

これからも頑張れイモト!

24時間テレビイモトと盲目の美女キリマンジャロ登頂プロジェクト [ドキュメンタリー]

2011年8月24時間テレビにイッテQ登山部イモトが

盲目の美女【立木早絵】さんとキリマンジャロ登頂を目指す!

第4の挑戦はアフリカ最高峰【キリマンジャロ】をタンデム挑戦


2009年6月14日放送のではイモトはすでに見事

キリマンジャロ登頂を果たしている

イモトは同じ年の24時間テレビのランナーとして

歴代女性最長距離126キロを走破も経験!


今回初めて登山に挑む立木早絵さんは

2歳の時にかかった重い肺炎の影響で視力を失った。

しかしピアノ、水泳など幼い頃から何事にも

果敢に挑戦!しており、過去24時間テレビでは

津軽海峡の縦断リレーやトライアスロンにも

挑み自らを鍛え成長させてきた。

彼女は言う「私の目が見えないのは、みんなの足が遅い

とか、歌が下手とかと同じでちょっと見るのが苦手なだけ」と

立木早絵.jpg

そんなポジティブ娘2人がタッグを組み、一大チャレンジに挑んだ。

せっかくキリマンジャロに行くならば、イッテQカレンダー8月編

「キリマンジャロの絶景」も担当してもらおう!という制作側の

都合も加味しての挑戦だ!


 ≪プロローグ≫

立木さんとイモトは5月からトレーニングを開始、

初めての海外がアフリカ、初めての登山がアフリカ最高峰!

とてつもなく大きな初挑戦なのだ!

何もかも初めての立木さんは、高山病の危険性や登山の歩き方から始まり

初めての西武尊強化合宿も経験


図14.png

キリマンジャロは、アフリカ・タンザニア北部

ケニアとの国境付近にそびえる山だ。

今回は登山だけではく、キリマンジャロからの映像を

日本に届けるというチャレンジでもある。

登山隊から送られる映像を、まずは麓のベースキャンプでキャッチ。

そこからインド洋上の衛星を介して日本の山口へ。

そして東京日本テレビから全国へハイビジョン生中継放送される。

もっとも重要なのは登山隊から麓へ映像を送るシステム。



今回、登山隊を率いたのは

内村の冬富士・イモトのモンブラン登頂を成功させた角谷さん。

キリマンジャロ登頂の難しさは距離と標高。

往復100キロ以上を登るうえ、

高度は一日1000メートルずつ上がる。

プロの登山家でも高山病になるケースが後を絶たない。 

それが登頂率50%の所以である。     

チーム一丸となって挑む壮大なチャレンジが始まった。


1nd:ドキュメント≪アフリカ大陸へ≫


2011年8月13日出国、日本から26時間、国内線に乗り換えて

2時間、空港から車でさらに2時間

8月16日、放映日4日前に【マラングゲート】標高(1,800m)に到着

初日の目的地は

標高2700メートルの山小屋【マンダラハット】。

初日の距離は13キロ。

登りながら2人の呼吸を合わせるトレーニング。

まさに二人三脚。

それらを合わせなければ到底キリマンジャロには勝てない。

とはいえ、目の見えない早絵さんにとっては決して楽な道のりではない。

またイモトにとっても立木さんのペースを見ながら、声を

掛け続けるのは容易なことではない。

初日の山小屋マンダラハットに到達。

この日の食事は早絵さんとイモトが担当。

支えてくれるクルーに豚汁を振る舞う。

食事は唯一の楽しみ。

さらに内村から『おにぎり』の差し入れが!

日本の味・梅干し。


夜7時には就寝。


2nd:ドキュメント≪呼吸の乱れと3,000m超え≫

登山2日目

今日は15キロ、高度差1,000mを登る。

気温は10度。

緑の参道は徐々に草原へと変わって行く。

8月17日 この日は、標高3,700mのベースキャンプ。

ホロンボハットを目指す。

行く道は徐々に険しさを見せ始める。

2人の呼吸はまずまず。

出発から8時間。


8月17日、2日目の山小屋ホロンボハット。

標高は富士山頂とほぼ同じ

このホロンボハットで高所に順応する為、2日を過ごす。

2日間登り続けて身体はパンパン


3nd:ドキュメント≪不安と正念場≫


8月19日、登山4日目。

今日からが本番。

標高は4,000mを超え、

酸素濃度は、徐々に低下。

ここから先はいつ高山病になってもおかしくない。

気丈に振る舞ってきたサエさん。

しかし慣れない山での生活や想像以上に厳しい道のりに

不安を隠せなくなって来ていた。

しかし山は容赦がない。

標高が上がるたびに、息が乱れる。

いうなれば、酸素の足りない状態で走り続ける長距離走。

だが苦しいのはイモトも同じ。

さらにイモトは早絵さんに足場を伝えるため、

喋り続けなければならない。

声を掛け合い、お互いを励ましあって前へと進む。

ついにアフリカ最高峰の頂を捉えた。

ここから2時間ほど進んだベースキャンプが

24時間テレビ、最初の中継ポイントとなる。

標高は4,300m

ジャングルから始まった登山も

あたりは、動植物の一切ない荒涼とした風景となった。

この辺りは、緩やかなのぼりが続く

しかし、前へ前へと気をはやらさえればたちまち息が切れる。

酸素濃度は、平地の2/3。

一度呼吸を乱せば取り戻すのに時間がかかる。

不安が押し寄せる。

4nd:ドキュメント≪初中継と日本での本番≫

午後15時、ベースキャンプに無事到着。

この日はNEWS ZEROの中継があった。

初中継、無事終了。


そしていよいよ24時間テレビ当日を迎えた。


標高4,600mで目覚めた二人。

気温は8℃

幸い高山病の兆候はない。

日本では、24時間テレビの放送がスタート。



キリマンジャロの早絵さんとイモト。

最終拠点となる山小屋を目指しひたすら登り続けた。

そして、最終拠点に到着!

5nd:ドキュメント≪この想いの向こう側≫


仮眠はわずかに3時間

そして、深夜11時30分、装備を入念に整え

いよいよ山頂アタック。

まずは、ご来光が最もきれいに見えるポイントを目指す。

これまで、津軽海峡の遠泳やトライアスロンと過酷な挑戦に挑んできた。

しかしそれらは入念に練習を積み。

本番に成果を出せば乗り越える事が出来た。

だが、登山は心が試される。

ただひたすら耐え、その瞬間の苦難を乗り越えて行けるか。

標高5,000mが最も苦しいゾーン。

それでもイモト この標高で声を絶やさない。

だが、あまりにも辛い。

こんな想いをしてまで、この先に何があるというのか?

早絵さんの心が折れそうになる

止まる事も許されない。

とにかくこの場を乗り越えるまではギブアップも出来ない。


標高5,600mギルマンズポイントに到達。



ここから日本に向かって御来光を届けるのが

二人の目標のひとつだった。

しかし見る限り、早絵さんはすでに限界。

せめて御来光を感じ、中継を果たしてから下山させてあげたい。


6nd:ドキュメント≪最終アタック≫

早絵さんの大好きな応援歌、かりゆし58【オワリはじまり】

が流れ、そして早絵さんを遂に朝日が照らす。

まぶしい程の御来光と大好きな歌が再び力をくれた。

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決意は固まった。

ここから更に進み、

アフリカ最高地点ウフルピークを目指す!

そこに日本から電話が入る。

日本で2人の勇姿を見届けていたイッテQ!メンバーだ。

イッテQ!メンバーからも力をもらい、再び出発。

目指す頂までは残り2キロ、最後の力を振り絞る。


ここまで登ってきた長い道のり

その努力はあと少しで報われる。

さぁキリマンジャロチーム。

標高はすでに5,700m。

傾斜は比較的緩やかだがとにかく空気が薄い。

酸素量は平地の半分以下。

さすがのイモトも声が出せない。

しかしさすがはイモト、中継となると良く喋る!!

頂上までたった1キロ。

しかし、それが信じられない程遠い。

そして遂に捉えた、標高5,895mの頂「ウフルピーク」!

ここまでどれだけ歩いてきた事だろう。

想像もつかない標高6,000mの世界。

ただ1つづつ目の前にある事を懸命に乗り越えてきた。

あと50m、あと10歩、そして・・・


遂に来た、標高5895mアフリカ大陸最高峰

キリマンジャロ登頂見事に成功!!


 ≪エピローグ≫

周囲5千キロここから見上げるものは何もない。

雲海は遥か眼下に、乱れる吐息の他に物音1つしない静寂の世界。

無数の動植物が命の営みを見せる広大なアフリカ大陸。


しかし数億年の歴史の中で輝ける山、

キリマンジャロの頂きに立ち入る事を許されたのは

唯一人間の冒険心だけ。

早絵さんの挑戦はコレからも続く。

人生を全力で送る為に・・・

立木早絵キリマンジャロ.jpg

早絵さん、イモト、キリマンジャロ登頂おめでとう!


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